瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

尾崎翠『第七官界彷徨』(2)

 尾崎翠については、ちくま日本文学全集に続いて平成4年(1992)1月15日には田中裕子主演のNHKドラマ「29歳・おもかげを風にあたえよ」が放映されている。もちろん当時気付いていなくて、今までその存在も知らなかったが、時期的にちくま日本文学全集を承けてのTVドラマ化ではないから、やはりこの頃に再評価への大きな流れがあったのであろう。私の読んだ創樹社版全集は昭和62年(1987)8月の初版第10刷であった。決して安価とは言えない、無名と云って良い「全一巻」に作品が収まってしまう作家として、これだけの増刷をなさしめたものは何であったのだろうか。それは昭和の末年にまだ高校生だった(かつ、まだ尾崎翠の存在を知らなかった)私には、分からない。
 映画『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』上映委員会(担当:山崎邦紀)のサイト「MIDORI」の、「尾崎翠参考文献目録」(2006.1.13 現在)を見ても、著作の再刊が始まった昭和40年代から文献が散見されるようになり、昭和54年(1979)12月の創樹社版全集刊行を機に増えてはいるが文庫版の『日本文学全集』に収録されるほどの盛り上がりというのが当時のことを知らない身からするとちょっと理解しがたいのである。
 時代が追いついたと云うべきなのだろうか。文献の数ではなく増刷の数(何部ずつ刷り増したのかは分からないが)が、読者の存在を裏付けている。この辺りの事情は、まずは昭和50年代に読者になった人がネット上で語ったものを漁ってみるべきであろう。まだ語っていない人の数の方が多いだろうけれども。私とて、一言では語れない。語ろうとすれば当時の自分を巡る環境を整理して共鳴しそうなところを抜き出して、検討しないといけない。
 なお、浜野佐知(1948.3.19生)監督の映画『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』は平成10年(1998)10月から先行上映されていて、詳細は旦々舎のサイトの「第七官界彷徨 尾崎翠を探して」の「上映記録」に詳しい。私は学部時代から修士の院生くらいまで、小説みたいなものを書いていたけれども、この頃に書くのを止めて、それで文学臭い話をする連中とも疎遠になってしまったので、尾崎翠のことなどほぼ忘れていて、こんな映画があったことも知らなかったのである。

 悪くはなさそうだけれども、私の頭の中の映像を崩されないように、見ないで置くことにしよう。なお、脚本を担当した山崎邦紀(1948.6.29生)が上記のサイトやブログに書いていることは、私などには大変参考になるけれども、一般読者は知らなくても良いことかも知れない。
ちくま文庫尾崎翠集成』中野翠
(上)二〇〇二年十月九日第一刷発行・二〇〇四年十二月十五日第二刷発行・375頁・定価1000円

尾崎翠集成〈上〉 (ちくま文庫)

尾崎翠集成〈上〉 (ちくま文庫)

(下)二〇〇二年十二月十日第一刷発行・426頁・定価1000円
尾崎翠集成〈下〉 (ちくま文庫)

尾崎翠集成〈下〉 (ちくま文庫)

 「第七官界彷徨」は(上)11〜123頁16行め、続いて124〜130頁10行めに「「第七官界彷徨」の構図その他」が収録される。
 (上)369〜372頁15行めに中野翠編者あとがき」、(下)419〜424頁4行めに中野翠「編者あとがき」があって、前者(何故かゴシック体)は尾崎翠の再評価と生涯についての簡略な見取り図で、後者(何故か明朝体)は中野氏の編者としての用意と、尾崎翠(というか「第七官界彷徨」)との出会いと、主として「第七官界彷徨」の感想が語られている。
 ここでは前者の最後を抜いて置こう。372頁6〜15行め、

 尾崎翠の作品もその生涯も特異で、ある種の人びとの心に深く取り憑く。「尾崎翠だ/け読めばいい。これさえあれば生きていける」と思わせる。稲垣眞美さんもその一人だ/が、この人こそ作家・尾崎翠に関する最も詳細厳密な研究者ではないだろうか。筑摩書/房版の全集(上下巻)には、たいへん充実した解説が寄せられている。
 
 なお、この文庫版収録にあたっては、だいぶ迷ったすえに、歴史的かなづかいや旧字/体は現代的な表記に改めました。できるだけ多くの人に尾崎翠の作品を楽しんでいただ/きたいという思いからですが、もともとの古い表記のほうがやっぱり微妙に味わい深い/ものです。その意味でも、より深い興味を持ったかたはぜひ全集を。
 さて、この文章の下巻では『アップルパイの午後』をはじめとする戯曲、映画評、初/期の少女小説などを紹介します。


 『全集』は創樹社版の方が良いようだ。それから「この文章の下巻では」というのだから、下巻の「編者あとがき」のことと思うのだけれども、先述したようにほぼ「第七官界彷徨」との出会いと感想に費やされていて、ここに列挙してある「戯曲、映画評、初期の少女小説」への言及は、全くない。
 中野氏の、編者としての作者や作品に対する思い入れは示すべきだと思うから、上巻「編者あとがき」に書きそびれた思いの丈を下巻「編者あとがき」に示したって別に構わない。けれども予告していないことを書いて予告を果たさなかった訳だから、上巻の増刷に際して反故にした最後の2行は削除すべきだったのではないか*1。(以下続稿)

*1:下巻の第二刷に記述を補った可能性もあるから、ここにおずおず指摘して置いて、もし増刷後の下巻を確認出来たら改めて注記することとしたい。