瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

浅間山の昭和22年噴火(14)

・写真(1)
 昭和22年(1947)8月14日の噴火の写真は、10月3日付(04)に紹介した「朝日新聞」8月16日付記事に掲載されていますが、かなり小さなものです。当ブログは図版を掲載しない方針ですので、ヨシのブログ「北軽井沢と四季いろいろ…」の2014/10/13「浅間山の噴火 〜 【昭和22年8月14日】」に「朝日新聞」の関連記事の複写が掲載されていることを紹介して置きます。「声」欄の投書は、『朝日新聞縮刷版』の「昭和二十二年八月記事索引」には並んで*1出ていなかったので見落としていました。私も『縮刷版』にて確認し、後日紹介しようと思っています。
 10月13日になって、国土交通省関東地方整備局の10月10日記者発表「〈第18期 砂防公開講座/第9回 防災住民講座〉合同講座を開催します」の「浅間山 あなたと地域の防災力up!」というチラシの右上に、同じような写真で、より鮮明なものが掲載されていることに気付きました。但し文字が被さっていて隠れているところがあるのですが、大体は分かります。
 「朝日新聞」掲載のものに比べると、電柱の位置が「朝日新聞」は右寄りですがこの写真では左寄りです。噴煙柱も「朝日新聞」の方が長くなっている、すなわち高く上っているようです。同じ辺りから、恐らく同じ人が撮影したのではないか、と思われるのですが、どうでしょうか。そして、――この沓掛(中軽井沢)から眺めた噴煙を、同じ沓掛の土屋家ではどう見たでしょうか。しばらくして峰の茶屋に全身火傷の浅沼氏が下山し、浅沼氏が山頂付近で目撃した人数の中に、土屋少年の案内した下田製作所の一行は含まれていなかったのですけれども、夜になっても下山して来ません。いよいよ遭難したに極まって、しかし翌日の捜索でも発見されない。……
 11月8日(土)13時30分から群馬県吾妻郡長野原町が会場では、欠勤しないと行けません。稲葉和弘(前橋地方気象台次長)の「昭和時代からの火山防災」にて、内部資料から詳細に及ぶことがあるかも知れない、と思ったりするのですが、大抵期待して行って見るに期待したほどでもなかったということになりがちだから*2、欠勤してまでは行かないことにします。

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 先日、昭和館に行って見ました。当時のニュース映画が視聴出来ないか、と思ったからですが、残念ながら昭和22年(1947)のニュース映画は、上半期の分は所蔵されているのですが下半期の分が所蔵されておらず、確認出来なかったのですが、「写真資料」に次の白黒写真がありました。

浅間山の噴火
資料番号  :011942☆
資料説明  :小室から見た、日本の活火山の1つ浅間山の噴火。右側の噴煙/
       は1度目の噴火で上がったもので、その数分後の2度目の噴火に/
       よって左側の噴煙が上がった。
撮影年月  :昭和22年08月14日
撮影    :米国立公文書館
キーワード :アメリカ 米国立公文書館


 「小室」は小諸でしょう。「右側の噴煙」は形も崩れて流されてしまっており、「2度目」の「左側の噴煙」は山上にぬっと現れたばかりです。10月2日付(03)に紹介した「朝日新聞」8月15日付記事に見える「連続的爆音は十四分間にわたり」が「1度目の噴火」なのでしょうか。(以下続稿)

*1:10月27日追記】3字加筆。これについては10月27日付(19)にて述べた。

*2:もちろんこれは、偏った期待を抱いている私がいけないのだけれども。