瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

浅間山の昭和22年噴火(24)

 11月12日付(21)11月14日付(23)に、朝日新聞社の編纂した通史を見ました。他社の刊行した通史にも、やはり昭和22年(1947)8月14日の噴火を写真入りで紹介してありました。
・『決定版昭和史』第13巻 廃墟と欠乏 昭和21―25年(一九八三年一二月三〇日第一刷・一九九二年六月二〇日第二刷・毎日新聞社・230頁・A4判上製本
 決定版というのは、それまでに毎日新聞社が刊行した同類の書物の改編ということなのでしょう。確認し次第、追って記事にするつもりです。
 94〜107頁「昭和二十二年」の、下部に箇条書で出来事が列挙され(1頁32行)、その上に白黒写真が掲載される年譜に、100頁28行め、

8月14日 浅間山大爆発。一〇人焼死。

とあり、102頁左上(一部分103頁右上にも割込む)に、登山者たちが樹木なく岩や礫に覆われた斜面を登る姿を撮した写真があり、その下にゴシック体横組みで、

6月の爆発に続いて8月14日 またも浅間山が大爆発 登山者10人/が焼死した ガスの中 峰の茶屋付近で肉親を捜索する家族(8月)

というキャプションがあります。登山者は9名でうち1名は(若い)女性。右上に稜線が見えますが、登山者が向かっている左上方の山頂方向はガス(霧)で白くなっています。キャプションに「峰の茶屋付近で‥‥捜索する」とあるのですが、探している風ではなくひたすら登って行く様子なので、山頂付近を目指しているのでしょう。写真は左後方から撮影しており、家族の表情は分かりません。
 毎日新聞社の写真は「毎日フォトバンク」にて検索出来ますが、昭和22年8月14日の噴火に関連する写真は、
浅間山が大爆発して登山者10人爆焼死 ※遺体の写真。使用注意
浅間山爆発・遺体を収容する消防団員たち ※遺体の写真。使用注意
の2つが挙がっているのみですが、この2つは同じ写真で9月28日付(01)に言及した毎日新聞社のサイト「昭和毎日」の「昭和のニュース/浅間山噴火 1947年08月14日」に掲載されているものに同じです。「使用注意」とありますがそれと分かる形で写っている訳ではありません。前者には「撮影日 1947年08月19日撮影/キャプション 浅間山が大爆発して登山者10人爆焼死、地元消防団が遺体の収容」とあり、後者には「撮影日 1947年08月撮影/キャプション 登山者20人が遭難、遺体を収容する地元消防団の人たち」とあります。ともに「掲載日」欄は「東京本社大阪本社西部本社中部本社北海道本社地方版」の全て空欄になっていて、紙面には当時から今に至るまで掲載されないままです。
 ところで、撮影日ですが10月6日付(07)に述べたように8月19日というのは誤りで、「毎日新聞」の記事では10月20日付(12)に引いた8月19日付記事にある通り、8月18日であったろうと思われます。
 そこで家族の写真ですが、やはり同じ8月18日に、遺族が山頂付近の遭難現場を目指して登って行く姿を撮影したものだと思われるのです。具体的には10月4日付(05)に引いた「朝日新聞」東京本社版8月19日付記事に見える「遺族十一名」が「午前五時峰の茶屋を出発」した場面だろうと思います。(以下続稿)