瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子『アラベスク』(01)

 『アラベスク』については『テレプシコーラ』を読んでいるときに、附載されている対談でも度々言及されていたので気になっていたのだが、その後、昨年の10月から12月に掛けて読むことが出来た。
 そこで少々詳しく述べて見たいと思っているのだけれども、まずは1月7日付「『現代漫画博物館1945-2005』(1)」で見た、小学館漫画賞事務局 編『現代漫画博物館1945-2005』ではどのように紹介されているかを確認して置こう。
 第3章、156頁上段「1971 アラベスク

■母親の経営するバレエ学校に通う16歳の少女ノンナは、偶然、/練習を目撃したソビエトバレエ界のスター、ユーリ・ミロノフに/見いだされ、名門校へ編入することに。激しい競争と厳しい練習/のなか、ノンナは新作「アラベスク」の主役に抜擢され、戸惑う/が…。自信をもてない少女が、さまざまなライバルたちとの出会/いを通して成長し、才能を開花させ、師であったミロノフとの愛/を成就させるまでの姿を描く。旧ソ連の時代背景の描き方や正確/な身体描写など、過去のバレエ漫画をこえた表現も話題をよんだ。


 図版は白泉社文庫版Ⅰ68頁・完全版Ⅰ66頁。
 さて、この紹介にはいくつかの問題がある。
 この書き方では偶然見出され、研鑽の末に思いがけず主役に抜擢されたかのようだが、レニングラード・キーロフ・バレエ劇場の支配人トロヤノフスキー氏が新作バレエ「アラベスク」の記者発表で、白泉社文庫版Ⅰ188頁・完全版Ⅰ190頁2〜5コマめ、

トロヤノフスキー:「おわかりとおもいますが このモルジアナには/従来のプリマにはないキャラクター・ダンサー的なダイナミックさを必要としたのですしかもプリマの条件である繊細さ 柔軟さという/ダイナミックな強靱さとは相反するものも要求されるむずかしい役なのです発表までコルパコワくんを主役としてノンナ嬢をふせていたのはノンナ・ペトロワ 彼女の才能がどこまでのびるかが/私たちにとってもひとつのかけだったからなのです *1

と語っているように、ノンナ本人も含め大部分の人間には知らされていなかったのだけれども、ノンナは初めから「アラベスク」の主役候補としてスカウトされていたのである。
 ノンナがレニングラード・バレエ学校に編入早々に「32回のグラン・フェッテ・アン・トールナン」をやらされて転倒するシーンで、生徒たちの大半に笑われて顔を覆ってしまうノンナを見て、白泉社文庫版Ⅰ37頁・完全版35頁4〜5コマめ、ミロノフ先生は「くす」と笑い、その肩をポンと叩いたヒョードル・バクランと目配せをする描写がある。これなどもトロヤノフスキー氏とミロノフ先生の他にも、バクラン先生など少数の人間は初めから承知していたことを、窺わせるのである。
 そもそも、書出しの「母親の経営するバレエ学校」というのがおかしい。ソ連教育機関は全て国営で、私立学校はなかったはずである。教育機関の教員になれなかった実力者が私塾のような形で個人的に教えるようなこともあったかも知れないが、ここに描かれているバレエ学校は、規模も大きく公的な存在としか思えない。
 ノンナの母・ペトロワ先生は、国立バレエ学校の教師なのであって、キーロフ・バレエ劇場の支配人とも、旧知の仲なのである。
 その学校の名称は、白泉社文庫版Ⅰ6頁・完全版4頁1コマめ、門のプレートに「キエフ・シエフチェンコ/バレエ学校*2」とあるが、これは「国立キエフバレエ学校」で良いらしい。
 シェフチェンコというのはソ連ウクライナを懐柔するために執った政策「ウクライナ化」の一環として、国立大学やキエフバレエ団に国民的詩人タラス・シェフチェンコ(1814〜1861)の名を冠したのである(タラス・シェフチェンコ記念キエフ国立大学、タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立バレエ)。ウクライナにはロシア革命当時独立しようとして赤軍に制圧された過去があり、西ウクライナナチスドイツとソ連昭和14年(1939)ポーランドを分割するまではポーランド領であった。
 それはともかく、バレエ団は「シェフチェンコ」を冠しているが、キエフ国立バレエ学校は「シェフチェンコ」を冠していないようである。(以下続稿)

*1:ルビ「じゅうらい・てき・ひつようじょうけん・せんさい・じゅうなん・きょうじん・あいはん・ようきゅう・やくはっぴょう・しゅやく・じょうかのじょ・さいのう・わたし」。

*2:ルビ「がっこう」。