瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子『日出処の天子』(08)

 一昨日からの続きで、設定の確認。
敏達天皇十四年(1)
・文庫版第一巻133頁2コマめに、双辺の枠に「五八五年 敏達十四年/訳語田大王崩御」とある。
 敏達天皇十二年(583)の大晦日は文庫版第一巻129頁までで、130頁1コマめは葉のない梢で時間の経過を表している。6コマめも同じ。132頁3コマめは梅の花
 130頁2コマめから5コマめは年が明けてすぐで敏達天皇十三年(584)であろう。130頁7コマめから133頁1コマめは蘇我氏物部氏の仲が険悪になったことで、物部氏の出である蘇我毛人の母・十市娘と同母妹・刀自古郎女が、母の里の伊香郷に返される場面で、梢のコマを挟まずに敏達天皇崩御に続いているから、これは既に敏達天皇十四年(585)になって後の出来事という扱いなのだろうか。130頁から133頁1コマめまでは時期が「梅の花」でしか示されていないので、何年のことだか確定させづらい。
・文庫版第一巻134頁1コマめ、敏達天皇の後継者についての蘇我馬子の台詞に「長子である彦人王子さまが成人あそばしていない今」とある。3コマめに双辺の枠に「この時 大王の地位を継ぐ資格のある者は訳語田大王の異母兄弟達で実に14人の王子がいた」とあり、5コマめに名前不明の廷臣の台詞に「穴穂部王子の上に5人もの王子がおられるのになぜ あのお方を?」とある。そんな議論を余所に、蘇我毛人は厩戸王子に誘われて池辺の雙槻宮を訪ねる。そこで初めて140頁6コマめ「厩戸王子の弟君達」2名を目撃する。賑やかでなにか催し事/お祝い事でもありそうなので、141頁9コマめ、侍女に尋ねると「はい 来目王子さまのお誕生日でございます」との返事で、聞かされていなかった蘇我毛人は、142頁1コマめの心内語で「な なんと豊日大兄さまの第2王子のお誕生日とは /なんのお祝い物も持参していないというのに」と驚く。143頁2コマめ、蘇我毛人に「王子はおいくつになられたのでございますか」と聞かれて、3コマめ「ここのつです」との答えに蘇我毛人は「9歳  それはおめでたい」と応じている。
 数え年として来目王子は西暦577年生ということになるが、この会話だと満年齢のようである。昨日指摘した、敏達天皇十二年(583)の前半では「10歳」だった厩戸王子の年齢が後半では「11歳」になっていたのと同様に、どうもこの辺り、満年齢のつもりで描いていたらしく思われてならないのである。(以下続稿)