瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子『日出処の天子』(11)

 昨日の続きで、小長井信昌『わたしの少女マンガ史』から作品そのものについて述べたところを見て置きましょう。141頁11行め〜163頁7行め「'70年代、少女マンガが一番輝いていたとき」の節は、142頁3行め「少女マンガの黄金時代」を、4行め「1970年から1980年(昭和45年〜55年)のほぼ10年であろう」と述べ、144頁10行め〜「[70年代にはどのようなマンガが出たか?]1970(昭45)〜80年(昭55)」に40作をリストアップしていますが、『日出処の天子』は147頁13〜17行め「80年(昭55)」に挙がる4作品の1つめに、14行め、

日出処の天子      山岸凉子    LaLa(白)     80〜84年 K*1

と挙がっています。記載内容は144頁11行めに(題 名)(作 者)(掲載紙/出版社)(掲載期間)(マンガ賞)とあって、略号はリストの前の凡例に当たる箇所に144頁4行め「・ 掲載出版社 ‥‥ 白=白泉社 ‥‥」、5行め「・ マンガ賞 ‥‥ K*2講談社漫画賞」とあります。
 そして、148頁6行め「 次に多少私の考えやエピソードも入れながら解説めいたことを書いてみる。」として、以下年代順に述べて158頁9行め〜160頁14行めが昭和55年(1980)、記述の大半は『日出処の天子』に宛てられています。長くなりますが159頁12行めまで抜いて置きます。

 最後の80年、山岸凉子は「アラベスク」や妖精ものなど、すでに高い評価と人気を得てい/たが、「日出処の天子」の出現には、読者のみならず、マンガ家、編集者、世の識者なども/驚愕した。実は私も連載開始の時、このテーマをきいていささか二の足をふんだ。主人公聖/徳太子( 厩 戸*3王子)は戦前の歴史では日本の国威を発揚した愛国の大政治家であり、物語/や小説などに軽々しく書けない貴い存在だった。作者がどのようにえがこうとしているのか/わからないが、戦前だったらマンガなどにしたら、たちまち発禁、関係者はどうなったかわ/からない。現代でも宗教団体、右翼などからの反応が考えられた。また従来の太子のイメー/ジからすると今の読者には主人公として受け入れられるのか、時代物でもこの時代のものは、/小説にもあまりないようだし、まあ、ウケないのではないか、と首をかしげた。しかし、作/者本人の意欲と当時の小森編集長の推奨が強く、『LaLa』も勢いにのっていたので、そ/の時はその時だ、とおっかなびっくりでスタートした。
 ふたをあけてみると、これが意外にも、大人気であった。読者が戦前の聖徳太子像を全く/知らなかったから、むしろ厩戸王子を、国粋主義者などでなく異国の美しい王子のようなイ/メージで受けとったのかもしれない。作者も戦後生まれであるから、昔の太子は知らず、意/識しなかったから自由奔放な太子像が描けたのではないか。また完成に近い作者の画力が、/古代大和のコスチュームをみごとに描いて、かつてない新鮮さを与えたのだと思う。読者の/みならず、他の編集部や評論家などの評判も高かった。外部からの多少の反応はないことも/なかったが、大事にはならず、連載を続けた。/白泉社文庫でも第一回発行を「ガラスの仮/面」と共に飾って以来版を重ねた。*4


 「いささか二の足」とは書いていますがこの書きぶりでは当初、難色を示したのではないかとさえ思えるのですが、そこを推した「小森編集長」とは、白泉社の創立時を回想した記述の中に、86頁5〜7行め「‥‥、『りぼん』編集部長だった梅村義直さん/(初代社長、平成23年逝去)、やはり、『りぼん』編集の小森正義さん(故人)、それと私、(取締役編集部長)、編集ばかり三人であった。‥‥」と見えている、創立時に小長井氏とともに集英社から移ったメンバーの1人です。
 この小森氏についてはネット上にはあまり情報がないのですが、立野昧のサイト「A prayer for something better」の「三原順メモリアルホームページ」に、三原順(1952.10.7〜1995.3.20)に関係する編集者として名前が挙がっています。すなわち、「立野の三原順メモノート第2集(1998年)」の「立野の三原順メモノート(20) (1998.6.21)/故・小森編集のこと」によると、昭和末年頃に在職中のまま死亡した人のようです。
 また、立野氏のサイトへの寄稿「Mihara.Toへの寄稿」の匿名希望「はみだしっ子打ち切り説について」(1998年12月17日)に拠れば、小森氏は昭和53年(1978)まで「花とゆめ」編集長でした。してみると、その後「LaLa」編集長に転じたようです。
 ネット上には昭和末年から平成初年の情報が多くありません。やはり紙を見ないといけません。『わたしの少女マンガ史』171頁12行めに見えている「白泉社創立30年の社史」には何らかの記述があることでしょう。今度閲覧の機会を持ちたいと思っています。(以下続稿)

*1:○に「K」。

*2:○に「K」。

*3:ルビ「うまやど」。

*4:159頁10〜16行めの下部は花とゆめCOMICS『日出処の天子1』の白黒書影、キャプションは下に丸ゴシック体横組みで「山岸凉子日出処の天子』/(白泉社HC)」。