昨日の続きで、小長井信昌『わたしの少女マンガ史』から作品そのものについて述べたところを見て置きましょう。141頁11行め〜163頁7行め「'70年代、少女マンガが一番輝いていたとき」の節は、142頁3行め「少女マンガの黄金時代」を、4行め「1970年から1980年(昭和45年〜55年)のほぼ10年であろう」と述べ、144頁10行め〜「[70年代にはどのようなマンガが出たか?]1970(昭45)〜80年(昭55)」に40作をリストアップしていますが、『日出処の天子』は147頁13〜17行め「80年(昭55)」に挙がる4作品の1つめに、14行め、
と挙がっています。記載内容は144頁11行めに(題 名)(作 者)(掲載紙/出版社)(掲載期間)(マンガ賞)とあって、略号はリストの前の凡例に当たる箇所に144頁4行め「・ 掲載出版社 ‥‥ 白=白泉社 ‥‥」、5行め「・ マンガ賞 ‥‥ K*2=講談社漫画賞」とあります。
そして、148頁6行め「 次に多少私の考えやエピソードも入れながら解説めいたことを書いてみる。」として、以下年代順に述べて158頁9行め〜160頁14行めが昭和55年(1980)、記述の大半は『日出処の天子』に宛てられています。長くなりますが159頁12行めまで抜いて置きます。
最後の80年、山岸凉子は「アラベスク」や妖精ものなど、すでに高い評価と人気を得てい/たが、「日出処の天子」の出現には、読者のみならず、マンガ家、編集者、世の識者なども/驚愕した。実は私も連載開始の時、このテーマをきいていささか二の足をふんだ。主人公聖/徳太子( 厩 戸*3王子)は戦前の歴史では日本の国威を発揚した愛国の大政治家であり、物語/や小説などに軽々しく書けない貴い存在だった。作者がどのようにえがこうとしているのか/わからないが、戦前だったらマンガなどにしたら、たちまち発禁、関係者はどうなったかわ/からない。現代でも宗教団体、右翼などからの反応が考えられた。また従来の太子のイメー/ジからすると今の読者には主人公として受け入れられるのか、時代物でもこの時代のものは、/小説にもあまりないようだし、まあ、ウケないのではないか、と首をかしげた。しかし、作/者本人の意欲と当時の小森編集長の推奨が強く、『LaLa』も勢いにのっていたので、そ/の時はその時だ、とおっかなびっくりでスタートした。
ふたをあけてみると、これが意外にも、大人気であった。読者が戦前の聖徳太子像を全く/知らなかったから、むしろ厩戸王子を、国粋主義者などでなく異国の美しい王子のようなイ/メージで受けとったのかもしれない。作者も戦後生まれであるから、昔の太子は知らず、意/識しなかったから自由奔放な太子像が描けたのではないか。また完成に近い作者の画力が、/古代大和のコスチュームをみごとに描いて、かつてない新鮮さを与えたのだと思う。読者の/みならず、他の編集部や評論家などの評判も高かった。外部からの多少の反応はないことも/なかったが、大事にはならず、連載を続けた。/白泉社文庫でも第一回発行を「ガラスの仮/面」と共に飾って以来版を重ねた。*4
「いささか二の足」とは書いていますがこの書きぶりでは当初、難色を示したのではないかとさえ思えるのですが、そこを推した「小森編集長」とは、白泉社の創立時を回想した記述の中に、86頁5〜7行め「‥‥、『りぼん』編集部長だった梅村義直さん/(初代社長、平成23年逝去)、やはり、『りぼん』編集の小森正義さん(故人)、それと私、(取締/役編集部長)、編集ばかり三人であった。‥‥」と見えている、創立時に小長井氏とともに集英社から移ったメンバーの1人です。
この小森氏についてはネット上にはあまり情報がないのですが、立野昧のサイト「A prayer for something better」の「三原順メモリアルホームページ」に、三原順(1952.10.7〜1995.3.20)に関係する編集者として名前が挙がっています。すなわち、「立野の三原順メモノート第2集(1998年)」*5の「立野の三原順メモノート(20) (1998.6.21)/故・小森編集のこと」によると、昭和末年頃に在職中のまま死亡した人のようです*6。
また、立野氏のサイトへの寄稿「Mihara.Toへの寄稿」の匿名希望「はみだしっ子打ち切り説について」(1998年12月17日)*7に拠れば、小森氏は昭和53年(1978)まで「花とゆめ」編集長でした。してみると、その後「LaLa」編集長に転じたようです。
ネット上には昭和末年から平成初年の情報が多くありません。やはり紙を見ないといけません。『わたしの少女マンガ史』171頁12行めに見えている「白泉社創立30年の社史」には何らかの記述があることでしょう。今度閲覧の機会を持ちたいと思っています。(以下続稿)
*1:○に「K」。
*2:○に「K」。
*3:ルビ「うまやど」。
*4:159頁10〜16行めの下部は花とゆめCOMICS『日出処の天子1』の白黒書影、キャプションは下に丸ゴシック体横組みで「山岸凉子『日出処の天子』/(白泉社HC)」。
*5:【2026年1月6日追記】「A prayer for something better」は現在、「charlottte sometimes」にアーカイブがある。本文はそのままにしたが、リンクを貼り直した。なお、「三原順メモリアルホームページ」はアーカイブとは別に現在も更新されていて、そちらにも「立野の三原順メモノート第2集(1998年)」がある。以下に投稿時のリンクを保存して置こう。「立野昧のサイト「A prayer for something better」の「三原順メモリアルホームページ」に、三原順(1952.10.7〜1995.3.20)に関係する編集者として名前が挙がっています。すなわち、「立野の三原順メモノート第2集(1998年)」」。
*6:【2026年1月6日追記】国立国会図書館デジタルコレクションで「小森正義」を検索するに、昭和57年(1982)9月刊「別冊Lala」に「編集人兼発行人・小森正義」として見えるのが最初で、最後は昭和63年(1988)2月刊「Serie mystery Winter(1988)」である。或いは「小森編集長」で検索すると、昭和56年(1981)6月刊の花とゆめcomics、魔夜峰央『横須賀ロビン』第1巻に「おっおそれおおくも小森編集長」或いは「もしもしああララの小森編集長」などと登場しているのがヒットする。但し白泉社の刊行物は国立国会図書館デジタルコレクションに収録されていても「国立国会図書館限定公開」なので閲覧は出来ておらず、前後の号などに何らかの記載があるのかどうか、確認出来ない。
*7:【2026年1月6日追記】ここも現行のサイトとアーカイブがある。ここは現行のサイトのリンクに貼り直した。アーカイブでは「「Mihara.Toへの寄稿」の匿名希望「はみだしっ子打ち切り説について」(1998年12月17日)」、投稿当時のリンクは「「Mihara.Toへの寄稿」の匿名希望「はみだしっ子打ち切り説について」(1998年12月17日)」。