瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(15)

・芸苑怪異談集粋(2)
 昨日の続きで357頁3行めから最後まで。くの字点を「/\」で代用しているのと同様に、庵点を「√」で代用した。また傍点「」の打たれている字はゴシック体にして示した。

 啓夫 いつか拝借して行つた明治二十年代のやまと新聞の写しに随分怪談がありました。
 私 條野採菊や南新二や西田菫波や、江戸の残党の粋人たちが集つてやつてゐたあの新聞だから/そりやいい話もあるだらうな。
 啓夫 八代目団十郎が大阪の宿屋で、出演直前に自殺した話は有名ですが、新聞の追懐談では自/殺の前夜が惣ざらひで、舞台でつかふ蛙の仕掛などを見て機嫌好く宿屋へかへる途中、相生橋を渡/りかけたら、ぞつと襟許が寒くなり、急に気が変つて自殺したと云ふのですが、死神が憑いたとで/も云うんでせうネ。
 私 マさうだらうなあ。蛙の仕掛と云えば、児雷也でも演るつもりだつたのか、蛙の仕掛と死神/と自殺と云ふ幽怪な取合はせが、いかにもおもしろいぢやないか。君、先行の舞踊作品化して、一/つ誰かに踊らせ給へ。
 啓夫 エエかいて見ませう。次に京都の北の芝居てのは、あのウ南座の向う側に昔あつたんです/ネ。
 私 さうだ/\。それで√そして櫓のさしむかひと『京の四季』にもある。
 啓夫 その北座の裏の長曾我部元親のお墓へ、江戸の下廻りの役者で坂東八作てのが、何か大そ【357頁】う不浄なことをしたら、急にひどく発熱して、『我こそは長曾我部元親なるぞ。汝ら直ちにわが墓/を浄めざれば、一座のことごとくへ祟り呉れん』と大声で叫びだしたので、吃驚してお墓を潔め、/お神酒を備へたら、忽ち八作が全快したと云ふ話もでてゐますよ。(云ひながら再び『某誌』の依/頼状を取上げて)アいけません。エロテイツクな怪談も慾しいとかいてありますよ。
 私 怪談のエロは困つたな。アある。死んだ講談の神田伯竜君が、明治座のそばの花柳界に(も/ちろん戦争以前だが)引越して、ある待合のあとへ住んだら、二階の寝間が待合時代しかもごく最/近に心中のあつた部屋で、床の間には末だ蠟涙のあとさへのこつている。*1
 啓夫 へーエ。
 私 で、無気味におもひながら住んでゐたら、一夜、ふつと目ざめると大そうお安くない雲雨巫/山の声が聞えて来る。情死直前の情交は誰しも物凄いと云ふから、さては幽魂去りやらず、かくも/閨の語らひをするものかと慄えてゐたら、なんの壁一重隣りの待合の、生きてるお客と芸者の痴話/口説だつたと云ふ。
 啓夫 成程此はエロテイツク怪談ですねえ。
 私 では、この辺でお開きとしようか。
 あつさりお酒を切上げて私たちが御飯にしたとき、庭の暮色は已に濃く、白い薊の花だけが夜目/にも無気味に笑つてゐた。


幕末明治百物語

幕末明治百物語

「明治二十年代のやまと新聞の写し」と云えば近年、一柳廣孝近藤瑞木 編『幕末明治百物語』(二〇〇九年七月十七日初版第一刷印刷・二〇〇九年七月二十四日初版第一刷発行・定価2800円・国書刊行会・299頁・四六判上製本函)と題して刊行された、扶桑堂版『百物語』(明治廿七年七月二十六日印刷・明治廿七年七月三十*2日發行・二百四十頁)のもとになった「やまと新聞」明治27年(1894)1月4日〜2月27日連載の「百物語」が想起されるが、永井氏がこの「写し」から紹介しているらしい八代目市川団十郎(1823〜1854)と坂東八作の話は出ていない。「やまと新聞」には「百物語」の他にも怪談が多々掲載されていたのであろうか。
「京の四季」は舞踊の動画が多数上がっているが、ここでは資料として古いレコードを挙げて置く。

 神田伯龍は五代目(1890.6.25〜1949.5.17)。
講談十八番大全集 暗闇の丑松

講談十八番大全集 暗闇の丑松

 某誌というのは「あまとりあ」であろうか。(以下続稿)

*1:「末だ」と「いる」は原文のママ。

*2:近代デジタルライブラリーで公開されている国会図書館蔵本は3字分墨で塗り潰して左傍に「三 十」と墨書してあるが、マイクロフィッシュを基にしているので印記も判然とせず、抹消されている文字の判読も不可能である。