瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(13)

 【A】の冒頭。

 その頃の輕井澤は寂れ切つてゐたよ。それは明治廿四年の秋で、あの邊も衰微/の絶頂であつたらしい。何しろ昔の仲仙道の宿場がすつかり*1寂れてしまつて、土/地には何にも産物は無いし、殆どもう立ち行かないことになつて、ほか土地へ立/退く者もある。僕も親父と一緒に横川で汽車を降りて、碓氷峠の舊道をがた*2馬車/に搖られながら登つて降りて、荒凉たる輕井澤の宿に着いた時には、實に心細い/くらゐに寂しかつたよ。それが今日では何うだらう。まるで世界が變つたやうに/開けてしまつた。その當時僕達が泊つた宿屋は何しろ一泊三十五錢といふのだか/ら、大抵想像が付くだらうぢやないか。その宿屋も今では何とかホテルと云ふ素/晴らしい大建物になつてゐるよ。一體そんなところへなにしに行つたのかと云ふ/と、約り妙義から碓氷の紅葉を見物しようといふ親父の風流心から出發したのだ【九八】が、妙義で好加減に疲れてしまつたので、碓氷の方はがた*3馬車さ。山路で二三度/あぶなく引つくり返されさうになつたのには驚いたよ。
 僕は一向面白くなかつたが、親父は閑寂*4で好いとか云ふので、その輕井澤の大/きい薄暗い宿屋に四日ばかり逗留してゐた。考へて見ると隨分物好きさね。すると/その三日目は朝から雨がびしよ*5 く 降る。何しろ十月の末だから信州の此處らは/急に寒くなる。親父と僕とは宿屋の店に切つてある大きい爐の前に坐つて、宿の/亭主を相手に土地の話などを聽いてゐると、やがて日の暮れかゝる頃に、もう五/十近い大男がずつ*6と入つて來た。その男の商賣は杣で、五年ばかり木曾の方へ行/つてゐたが、寂れた故郷でも矢はり懷しいと見えて、この夏の初めから此地へ歸/つて來たのださうだ。我々も退屈してゐるところだから、その男を爐のそばへ呼/びあげて、色々の話を聽いたりしてゐる中に、杣の男が木曾の山奥にゐた時の話を/始めた。【九九】


 これはこれで完成されている。というか、後述するように【B】への「改訂」の理由はこの【A】の本文が不出来だったからとか、そういう理由ではない。詳しくは末尾も挙げた上で述べるつもり。――近年「木曾の旅人」を収録するアンソロジーも少なくないが、『近代異妖篇』という枠組を崩して再録するのであれば、1つくらいはこの『子供役者の死』の本文を採用しても良さそうに思うのだが。(以下続稿)

*1:傍点「ヽヽヽヽ」。

*2:傍点「ヽヽ」。

*3:傍点「ヽヽ」。

*4:振仮名「しづか」。

*5:傍点「ヽヽヽ」。

*6:傍点「ヽヽ」。