瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

宮澤賢治の文庫本(3)

 父は昭和13年(1938)生で終戦時に國民學校2年生、旧制中学だった新制高校に進学して都市の子供(といっても地方都市だけれども)との実力差を痛感させられるまで、田舎町で神童と云われていたのだけれども、男性教員が復員する以前で人材が不足していた終戦直後の田舎の学校で、戦時色に染まっていない宮澤賢治が教材として持て囃されるようになって、ただでさえつかみ所のない訳の分からぬ詩や童話の授業を、技量不足の若い女性教員から受けたことが、神童にとっては面白からぬ記憶となってしまったらしい。
・角川文庫1631『セロ弾きのゴーシュ』(3)
 カバー表紙折返し、改版二十六版は全て横組みで、最上部にゴシック体で「セロ弾きのゴーシュ」とあって1行弱空けて明朝体で、

 才能のない未熟な少年芸術家が、必/死になってセロを励んでいると、夜ご/と動物たちが訪れ、天啓のように芸術/に開眼するという感動的な童話「セロ/弾きのゴーシュ」以下11篇をおさめた。/「オッペルと象」「北守将軍と3人兄弟/の医者」「グスコーブドリの伝記」それ/ぞれ詩であり、寓話であり、大人の読/む童話である。

とあり、下部の広告は2013年3月5日付「角川文庫の「野性時代」の広告(1)」の、最下部右寄せでゴシック体「カバー 丸木 俊」。
 改版五十四版と改訂新版(再版)は、最上部右に著者の顔写真があって、その下に縦組みで紹介文。1行め「宮沢賢治(みやざわ けんじ)」とあって、改訂新版(再版)は次の行が詰まっているが、改版五十四版は少し余裕がある。改版五十四版の改行位置を「/」で、改訂新版(再版)の改行位置を「|」で示す。

岩手県花巻町出身。大正七年、盛岡高/|等農林学校卒。農学校で教鞭を執るか/|たわら、「やまなし」「シグナルとシグ|ナ/レス」*1など、意欲旺盛な創作活動を|する。/三十歳の年、農民の貧困を黙視|できず、/自ら農業へ転じ、羅須地人協|会を設立、/農民生活を幸福にするため|の実践活動/を始めた。が、順調に運ば|ず、肺を患/って病臥した。*2銀河鉄道の|夜」など、*3深/い思想の込められた創作|は、英訳、仏/訳もされて、多くの人々|の感動を呼ん/でいる。昭和八年、肺病|の悪化により/死去。享年三十七であっ|た。


 最下部に改版五十四版はゴシック体横組みで小さく「「グスコーブドリの伝記」映画製作委員会」とあるらしいが、左側は切除されているので「カバー」なのか「カバーイラスト」なのか不明。改訂新版(再版)はゴシック体右寄せで1行「カバーイラスト飯野和好」とある*4。(以下続稿)

*1:改版五十四版は鍵括弧「 」全て半角。従って、ここでは改訂新版(再版)の大きさを示す。

*2:改訂新版(再版)はこの句点半角。

*3:改訂新版(再版)はこの読点半角。

*4:11月26日追記】改訂新版のカバー表紙折返しは改訂新版(再版)に一致する(ようだ)。【2016年7月26日追記】改訂新版と改訂八版は一致。改訂十八版は2016年7月23日付「宮澤賢治『注文の多い料理店』(3)」に紹介した角川文庫924『注文の多い料理店』改訂二十四版に同じ。