もう少し、ネタばらしにならない形で本作の設定を確認して置きましょう。
それというのも、8月31日付「山本禾太郎『小笛事件』(1)」に書影を示した『京都の女性史』に収録されている(147〜182頁)細川涼一「小笛事件と山本禾太郎」の最後の節、173頁11行め〜179頁6行め「五 山本禾太郎と『小笛事件』」に、「抱茗荷の説」について1頁半の分量を費やして、177頁1〜2行め「不運なめぐり合わせによって社会体制から疎外された女性の肖像を描こうとする禾太郎の姿勢」は『小笛事件』と177頁3〜4行め「共通するものがあ/ったのである。」と論じているのですが、細川氏が175頁17行め〜176頁1行めに示している要約も、何だかおかしいのです。それで少々不安になり、これはもっとしっかり設定を確認して置く必要があるのではないか、と思えて来たのです。175頁12行めから176頁3行めまでの2段落を抜いて見ましょう。
禾太郎は一九二九年を最後に『新青年』から遠ざかり、一九三二年の『神戸新聞』『京都日日新聞』紙上で/の『小笛事件』の連載(単行本の刊行は一九三六年、ぷろふいる社)を経て、一九三三年には京都で創刊された/『ぷろふいる』に参加する。ことに「抱茗荷の説」(一九三七年発表)を頂点とする『ぷろふいる』時代の作品は、/「窓」から「小坂町事件」「長襦袢」を経て『小笛事件』に至る記録主義的な文章とは異なる、幻想的・怪奇的な/作風であることは。すでに権田萬治氏・山下武氏が指摘するところである。
「抱茗荷の説*1」は、物心つくころ母と瓜二つの女遍路(実は母の双子の姉)に父を殺され、実家に乗り込んだ/母も自殺した田所君子という娘が、八歳まで育ててくれた祖母の死後、流れ流れてふたご池のほとりにある豪家/(実は母の実家)に女中として雇われるという因縁譚である。そこで君子は、母の死の真相を知るのだが、「抱茗/荷の説」をめぐって山下武氏は、「妖気を漂わせる語り口の古めかしさ、草双紙でも読むような語り物風の凝っ/た文体は、デビューいらい禾太郎の本領とされた写実的な作風とあまりにも落差が大きすぎる」と述べている。
まず、9月28日付(3)に引いた山下氏による梗概でも注意しましたが、女遍路*2は(実は母の双子の姉)ではなく「妹」です。
君子の母が姉の方である根拠を「抱茗荷の説」本文から抜いて置きましょう。引用は例によって論創ミステリ叢書15『山本禾太郎探偵小説選Ⅱ』258〜283頁に拠ります。274頁13〜15行め、
人形を裸にして見た君子は、そこに不思議なものを発見した。人形の左の乳の上あたり/に梅の花のような格好の模様が黒々と描かれてあった。それは決して最初からあった人形/の傷ではない。あとから墨でかき入れたものであることが明らかだった。
その後、277頁10〜11行め「思いきって人形の首を抜/いて見た」君子は「そこに一枚のかきつけが隠されてあ」るのを見付けます。前後1行空け1字下げの「かきつけ」の引用(277頁12行め〜278頁6行め)のうち、5行めまでを抜いて見ましょう。
姉妹*3は、抱茗荷の説をそのまま、敵*4どうしの双生児として生まれました。そして二人/はいずれとも区別のつかぬほどよく似ていたのです。姉妹の母は姉妹にそれぞれ一つず/つ人形を与えましたが、その人形を区別するために別々の衣裳をつけさせました。しか/し人形を裸にしたときに区別がつかないので、一つの人形の左の乳の上に梅の模様をか/きいれました。それは姉娘のそこに梅の花のような形をした痣*5があったからです。‥‥
なお、「姉娘のそこに」が青空文庫では「姉妹のそこに」となっていますが、それでは区別がつきません*6。今はここに注意して置くに止め、初出誌で確認する機会を持ちたいと思います。
それはともかく「かきつけ」の引用の次、278頁7〜9行めには、
日付もなければ署名もない。しかし人形の胸に描かれた梅の模様は、このかきつけを読/んでいるうちに君子に解ってきた。それは君子の記憶の底に沈んでいた母の乳の上にあっ/た痣を思い出すことができたからである。‥‥
とあります。すなわち「君子の母」が「姉娘」であるはずなのです。――なお、ここも青空文庫では「母の乳の上にもあった痣」となっています。しかしながら「姉妹」ではどちらとも特定出来ませんから、姉とも妹とも断定出来ないはずです。とにかく今は『山本禾太郎探偵小説選Ⅱ』に従って、君子の母は双生児の姉娘であることを、確認して置きたいと思います。(以下続稿)