瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(2)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(2)
 この件については、戦後の回想もあります。
 論創ミステリ叢書15『山本禾太郎探偵小説選Ⅱ』361〜366頁「探偵小説思い出話」です。
 ここでも「讀賣新聞」の懸賞は「窓」の選考と絡めて記述されています。「あの頃」よりも纏まっているので、省略せずに引いて置きましょう。冒頭(362頁*1)から363頁9行めまで。

新青年』ではじめて探偵小説の懸賞募集をやったのは昭和何年であったか、戦災によ/る罹災で書籍や参考記録の一切を焼いてしまった私の手元では、今はっきりと判らないが、/何でも枚数は五十枚、賞金は一等五百円であったかと思う。
 その時故人夢野久作さんの『押絵の奇蹟』と私の『窓』が当選した。この発表にさきだ/って応募作品全部の題名と作者の氏名が発表されたが、何でも応募総数は四百編くらいで/あったと思う。ところが、その応募者総覧のなかに私の氏名が見当たらぬ。郵送の途中紛/失したものか、あるいは編輯部でどこかにまぎれこんでしまったものか、私は作品にせっ/かく自信を持っていただけに残念でたまらず、直接編輯部へ書面で問い合わせたところ森/下雨村氏から返事があって「貴作は優秀作として入選している、応募者総覧に漏らしたの/は作品を名古屋市在住*2の選者小酒井不木氏に送付後あの総覧を作ったので題名と、作者名/が判らず出たら目の名で編輯を終わったものである」との返事に接した。
 一等に相当する作品がなく夢野さんと私のものが何れも二等ということで賞金を半分ず/つもらったと覚えている。私の『窓』がさきに選者の感想とともに発表された。江戸川乱/歩氏が大変に私の作を支持して下さって相当の高点を与えて下さったが甲賀三郎氏がずい【362】ぶんシンラツで選者中一等点が辛かったと記憶している。甲賀氏と云えば氏と私について、/も一つこれに似たことがあった。それは読売新聞で一五〇回の小説を懸賞募集したことが/あり、それに応募した私の作品に対し選者白井喬二氏が相当の高点を与えて支持されたに/反しやはり選者であった甲賀三郎氏の点が非常に辛かったためついに落選の憂き目を見た/ことがあった。私の『窓』に続いて翌月の『新青年』に夢野久作さんの『押絵の奇蹟』が/載った。この作品を見たとき私は全く驚いてしまった。当選作*3としては私の『窓』が第一/席ということになっていたのであるが、私の作なぞとても足もとにも寄れぬ優れた作品で、/その時すでに私は夢野さんが大作家の質を備えておられることを感じ恐れをなした次第で/あった。‥‥


 この随筆について横井司「解題」には、以下のようにあります。402頁8〜15行め、

 「探偵小説思ひ出話」は、戦後版『ぷろふいる』一九四六年七月号(一巻一号)に発表された。/後に、ミステリー文学資料館編『甦る推理雑誌2/「黒猫」傑作選』(光文社文庫、二〇〇二)/に採録された。
 先の「あの頃」と同様、デビュー当時の事情をうかがわせるものだが、ここでも、「一等に相当/する作品がなく夢野さんと私のものが何れも二等といふことで賞金を半分づゝ貰つたと覚えてゐ/る」と書いておきながら、すぐあとで「当選作としては私の『窓』が第一席といふことになつ/てゐたのであるが」と書いており、禾太郎の自作に対する自負心のようなものが垣間見えて興味/深い。‥‥


 この「窓」の当選の事情については、気が向いたら別に検討することにします。――「あの頃」との異同としては、夢野久作(1889.1.4〜1936.3.11)の作品が「あやかしの鼓」ではなく「押絵の奇蹟」になっていることが注意されますが、これはもちろん「あやかしの鼓」が正しいのです。
 さて、白井喬二(1889.9.1〜1980.11.9)が「相当の高点を与えて支持された」とありますが、これは山本氏の記憶違いで、5人の選者のうちで最も高い点(65点)を付けたのは山本氏が「点が非常に辛かった」とする甲賀氏で、白井氏の点が実は最も低い点(50点)だったのです。この辺りは追って詳細を報告しますが、第一次予選に入選はしましたが第二次予選(最終審査)での選者5人の、100点満点での採点の平均が60点なのですから、そもそも当選作品(一等82点・二等75点)になるほどの高評価は受けていなかったのです。――全く記憶というものが当てにならんことの証明と云うべきで、本人の回想だからといって傍証抜きに使用することは甚だ危険なのです。傍証が得られなかった場合は特に「何年後に、どのような条件下で、なされた回想なのか」を注記した上で使うべきなのです*4
 「探偵小説思ひ出話」は昭和21年(1946)夏に発表されたのですから、18年後、全ての資料を戦災で失った上での回想ということになります。(以下続稿)

*1:361頁(頁付なし)は扉。

*2:青空文庫「名古屋在住」。

*3:青空文庫「賞選作」。

*4:論文にしても同じです。何年前にどのような条件下で――どのような資料を参照して、本人はどういった辺りに研究の力点を置いていたかを勘案した上で、使うべきであって、前提を同じくしない過去の論文の、自分に都合の良い箇所を、さらに自分に都合良く摘み食いするようなことはするべきではありません。