・讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(22)
いよいよ最後に山本氏が米島清の筆名で応募した「第四の椅子」の選評を眺めて置きましょう。
白井喬二の選評(50点・5位)
―米島清氏の「第四/の椅子」は、一種の靈感奇話/とでもいふのであらうが、作中の/人物時田が、友人の畫家道廣を探/しに新潟へ赴く途中、汽車の中で/擦れ違ひの列車の網棚の肖像畫を/(而も新聞包の)道廣の肖像と看破/するところは非常に苦しい筋で、/探偵小説としてこの作の致命傷で/あつた。
これなど、梗概となっている残りの100〜130回分がきちんと書かれていたら、合理的な謎解きもなされていたのでは? と、あらぬ想像もしたくなってしまいます。
吉川英治の選評(64点・6位)
‥‥。それと反對に、同じ探偵小/説の「第四の椅子」は繊維の細いテ/ーマで書ぶりも感傷的である。た/だ遺憾なのはその二つの作品がど/つちも初めに強く讀者の心をつか/んで置く探偵小説の重大な太い線/に缺けてゐることであつた。
前回見た関田氏の作品と合わせて「探偵小説」として1つの段落で扱われており、最後は2つ合わせての評になっています。
甲賀三郎の選評(65点・6位)
「第四の椅子」
米島 清君
文體も幼稚でだら/\と書かれ/てゐるが、不思議に讀者を苛立た/せるサスペンスに富んでゐる。後/半の扱ひ方に疑問を存する。
筋が気になるところです。「後半の扱い方」との突っ込みには、――梗概でなくきちんと完成したものであったら、という気持ちにさせられてしまいます。或いは、残りの梗概で山本氏は出し惜しみをしたのではないか、そんな気も(山本氏が回想で示している本作に対する自信を思うと)してくるのです。審査用の梗概なので所謂「ネタバレ」しなければならないのに、映画の予告篇のように肝腎なところを明かさず謎が謎を呼び読者の興味を駆り立てる、そんな書き方をうっかりしてしまって、白井氏や甲賀氏に不得要領の評価を下されてしまったのでは……と。違うかも知れませんが。
寺尾幸夫の選評(60点・7位)
七、「第四の椅子」米島清作。暗い/もので科學と背中合はせの探偵小/説である。未だし。
三上於菟吉の選評(63点・5位)
「第四の椅子」 探偵小説に必要な/ 神經に乏し、いまだし、
さて、この「第四の椅子」ですが、讀賣新聞社に送った原稿の他に手許に控えがあったはずです(そうでないと当初予定されていた予選通過後の続稿が書けません)が、11月18日付(02)に引いた「探偵小説思ひ出話」に、「‥‥、戦災による罹災で書籍や参考記録の一切を焼いてしまった私の手元では、‥‥」とあるように、それも失われてしまいました。
しかし、何処かに残っていないだろうか、そんな想像をして見るのです。すなわち、讀賣新聞社では、予選通過作の完成している20回分原稿用紙70枚分と、何枚あったのか知りませんが残りの100回分(原稿用紙350枚分)もしくは130回分(原稿用紙455枚分)の梗概とを、社内の筆耕に写させて選者5氏に送ったと思うのです。讀賣新聞社が保存していなくとも、選者の誰かが保存していないだろうか、と。
山本氏の、原稿用紙にして500枚を越すような長篇小説は「犯罪事實小説」の『小笛事件』があるのみです。しかしこれは細川涼一の指摘するように、資料に依拠した、事実という骨格の上に組み立てられたものでした。「第四の椅子」はそのような下敷きナシに構想された、山本氏の構成力を窺うべき作品となっていたはずです。選者の評価は高くありませんが、902篇の応募作の中で予選通過の8篇に残っているのです。長篇でなければ当選でなくとも選外佳作として発表の機会があったかも知れませんが、長篇だっただけに落選で(続きも書かれないまま)お蔵入りとなってしまったのが、惜しまれます。(以下続稿)