瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(11)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(11)
 それでは11月25日付(09)に紹介した昭和3年(1928)12月11日付の発表記事にあった「別掲文藝欄における採點成績及び批評」を眺めて置きましょう。
 (四)「文藝」面、まず右上に3段抜きで「文 藝」と欄名があって、その左に3段抜き明朝体で「本社五十五周年記念懸賞/ 大衆文藝當選々評」の見出しがあります。12段のうち6段めまで、この面の半分がこの記事になっています。
 まず、3〜5段めの中央に3段抜きで入っている「◇選 者 五 氏 採 點 表 ◇*1」を引いて置きましょう。この表は、もちろん縦組みです。最初の2行は繋がっていて、「合計」と「平均」の文字は2行の中心に入っています。四周は太線で、各行ごとに縦線で区切っていますが省略しました。また「合計」点の上の横罫は二重線です。

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|    \     者(イロハ順)  |吉川 甲賀 |白井 |三上 |寺尾 |合計 |平均|
|  題 名 並 作 者     \    |英治 |三郎 |喬二 於菟吉 |幸夫 |  |  |
|『影 繪 双 紙 尾山篤二郎 90.4 80 75 80 85 410.4 |82|
|『河 豚 ク ラ ブ 關 田 一 喜 80 75 80 64 80 379 |75|
|『不 戰 時 代 岡 戸 武 市*2 74.4 70 80 70 70 364.4 |72|
|『南蠻緋玉双紙 松 前 治 策 62 70 75 60 65 332 |66|
|『劍 難 時 代 長 濱  勉 78 65 50 72 65 330 |66|
|『戀 慕 夜 叉 東三條利公 76.8 70 50 53 70 324.8 |64|
|『第四の椅子 米 島  清 64 65 50 63 60 302 |60|
|『めぐる仲仙道 勝見かく路 55 60 50 59 60 284 |56|

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 備考  右當選順採點表の中、吉川英治氏は取材組織、描寫と文章、内容的價値、興味効果、作
  〓的な質の五項目に分け、それ/\を百點滿點に五百點を採點されたからこれを他の選者同樣
  に百點滿點に換算したものである。尚、平均點は一點未滿を捨てた。


 前回引いた「長篇小説の當選發表は延期」に「採点表を持ち寄って」とありましたから、大衆文藝の選者5氏が一同に会して協議することもあったかも知れません。
 その折などに、11月17日付(01)に引いた昭和12年(1937)の随筆「あの頃」に、山本氏は「当選候補にまで漕ぎつけたのであったが、他の選者はなかなかによい点数を下さったのに甲賀先生がとてもカライ点で、それが探偵小説であったため、選者中ただ一人の探偵作家の甲賀先生の点であっただけに、ついに落選の憂き目を見た。」といったようなこともあったかも知れません。しかしながら、この採点表を見ると厳密に点数だけで結果を決めていて、選者が集まって協議をしたのではなさそうです。
 昭和21年(1946)の随筆「探偵小説思ひ出話」では「選者白井喬二氏が相当の高点を与えて支持されたに反しやはり選者であった甲賀三郎氏の点が非常に辛かったためついに落選の憂き目を見たことがあった。」と「よい点数を下さった」選者の名を挙げているのですが、既に11月18日付(02)に述べたようにこれは記憶違いでしょう。裏に山本氏の述べたような調整があって、しかし山本氏に配慮して甲賀氏の点が一番高かったことにした、との説明も可能かも知れませんが、採点を公表しているのに、しかも吉川氏の採点を5で割ってそのまま足すようなやり方をしているのに、そんな点数調整が行われたとは思われないのです。本当は高評価だった白井氏は、探偵文壇に配慮してわざと悪役を引き受けたのでしょうか? ――そんなことはないでしょう。
 それでは「選評」の方を眺めて行きましょう。(以下続稿)

*1:左右に傍線。

*2:12月1日追記】投稿当初、11月23日付(07)に示した昭和3年10月20日付「讀賣新聞」の「大衆文藝/豫選結果/八名」に見えている通り「岡戸武平」としていたが、11月30日付(13)に引いたように、この昭和3年12月11日付「讀賣新聞」の発表記事では全て「岡戸武市」となっていることに気付いたので訂正した。【12月3日追記】この追記の後半が変な按配になっていたので修正した。