瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(17)

 昨日の記事12月3日付(16)に関連して、12月2日付(15)に岡戸武平『全力投球』に讀賣新聞の懸賞の記述があるとのコメントを頂きました。しかしながら、それをこの目で確かめるのはなかなかに困難らしいので、……いつのことになりましょうか。出来れば岡戸氏の研究者――流石にそういう人はいないのであれば、小酒井不木の研究者(もしくはファン)に岡戸氏が小酒井氏晩年にこうした活動を行っていた意義や題材等について、きちんとした位置付けをお願いしたいと思うのです。

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讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(17)
 松前治策(1976歿)は忘れられた作家です。ネット上には生没年も上がっていません。松前治策の筆名での著書が昭和15年(1940)刊『灯火峠』(愛亜書房)、昭和17年(1942)刊『與四郎人形 短篇傑作集』(愛亜書房)昭和17年(1942)刊『南海系図 長篇小説』(愛亜書房)昭和18年(1943)刊『若き日の歴史』(愛亜書房)、昭和19年(1944)刊『皇土に芽ぐむ 人間維新史』(国民図書刊行会)の5冊あり、大分県立図書館には揃っています。
 この活発な著述活動は、昭和15年(1940)に朝日新聞の懸賞小説に松前氏の時代小説「英雄峠」が当選したことがきっかけなのですけれども、この懸賞の名称がネット情報では定かでないのです。よって詳細は後日、当時の紙面を当たってから補うこととします。この「英雄峠」は丸根賛太郎(1914.5.12〜1994.10.10)監督により映画化され昭和16年(1941)6月12日に公開されています。「日活」HPの「日活作品データベース」には「嵐寛寿郎宮城千賀子第1回顔合せ。新聞1万円懸賞当選、300万読者熱狂問題作の独占映画化。文久年間新時代の英雄たらんと暗躍する若き薩摩藩士の勤王運動を描く。」とあります。
 戦後は本名の松前治作で最晩年まで著述活動を続けています。没年ですが邪馬台発行所(大分県中津市)から刊行されている文化総合誌「邪馬台」の昭和51年12月刊第11巻4号(通巻41号)が「松前治作追悼号」ですので、昭和51年(1976)でしょう。この雑誌も国会図書館にはこの頃の号の所蔵がなく、所蔵している図書館は大分県立図書館や熊本県立図書館になってしまいます。この号を見れば生没年に経歴もはっきりするはずなのですが……。
松前治策「南蠻緋玉双紙」
 白井喬二の選評(75点・3位)

 松前治策氏の「南蠻緋玉双紙」は、例の女賊/物であるが、テンポが早く妙に異/國情趣な〓がして理窟抜きに一寸/面白い氣持がした。或ひは作者が/相當な〓者なるが爲めの味である/かとも思ふ。


 吉川英治の選評(62点・7位)

‥‥。また「南蠻緋玉双紙」も奇巧に走つて失敗した/〓がある。長崎の風物や寶石屋の/亭主や琉球の王女や、非常に絢爛/な配役をこらしてゐるが何しろ骨/子となるかんじんな女賊が頗るお/そまつに書けてゐる。そして傳奇/的なトリツクが讀者にうなづきか/ねて作品を見透かされる點などが/この作品を輕薄にしてゐる。


 甲賀三郎の選評(70点・4位)

 「南蠻緋玉双紙」
     松前治策君
 長崎を舞臺とし、偵吏と女海賊/をテーマとし、琉球王女などの〓/景人物も面白いが、文章が見劣り/がする。新味にも乏しい。


 寺尾幸夫の選評(65点・5位)

三、「南蠻緋玉双紙松前治策作。/長崎が舞臺だけにエキゾチツクな/面白味はあるがもう廿回どころで/〓つてしまつてゐるのは心細い。


 三上於菟吉の選評(60点・6位)

南蠻緋玉」 古い、しかし、/ うまく手入れをすればもう少し/ 買へやう、


 評価は割れていますが、設定に新味がないという意見が優勢です。(以下続稿)