第12週「大阪一のおとうさま」の第72回(12月19日放映)は、まず第71回(12月18日放映)での白岡正吉(近藤正臣)の死を受けて、ナレーションが「九州の炭坑にいる雁助にも、うめからの手紙が届いていました」と言って正座して感慨にふける雁助(山内圭哉)が写るのだが、12月25日付(2)に突っ込んだように、九州から大阪を往復しても治郎作親分が命に別條なしで救出される程度の時間で済んでしまうはずなのだから、余裕で葬儀に駆け付けられただろう、と突っ込みたくなった。
この回で私が気になったのは、主人公あさ(波瑠)が夫新次郎(玉木宏)と姑よの(風吹ジュン)との間に交わす、次の会話である。
新次郎:「はぁーっ、千代を炭坑に連れて行くやて?」
あさ:「へぇ。やっぱり、あきまへんやろか」
新次郎:「えぇわけあれへんがな」
よの:「その通りだす。千代はまだ一つだっせ。あないな遠いところへ連れてくなんて、あんた母親の癖に何考えてはりますのや?」
あさ:「そやけど」
これはいつのことであろうか。結末近くに入るナレーション「そして、年が明けて、あさは、大阪と炭坑を、慌ただしく行き来する毎日を、送っておりました」が参考になろう。
その話をする前に、まず12月31日午前に「あさが来た一週間」の連続再放送を用事をしながら付けていて引っ掛かった台詞を指摘して置く。――第3週「新選組参上!」にて、奈良の豪商玉利友信(笑福亭鶴瓶)に門前払いにされそうになった主人公が「大阪から奈良までそない何遍も来られますかいな」と言っていた。聞くや否や猛烈に、「大阪から九州までそない……」と突っ込みたくなったのである。
さて、ナレーションに話を戻して、――ここで明治11年(1878)になったのは、続く第13週「東京物語」にて、主人公が上京して暗殺直前の大久保利通(柏原収史)と会見することになっているから、間違いない。
もう録画を消してしまったので主人公の娘千代が生まれたのがいつなのか、確かめづらい*1。九州の炭坑に行っている割に西南戦争は軽く触れる程度で済まされており、公式サイトを見ても要領を得ない。そこで、仮に朝蔵のブログ「朝ドラPLUS」の2015年12月12日「あさが来た 第11週 九転び十起き」の「『あさが来た』第11週「九転び十起き」あらすじ」及び「歴史・時代背景」の、明治9年(1876)であるとの指摘に従って置く。主人公のモデル広岡浅子も明治9年10月に長女を出産している。
そうすると、問題の会話は明治10年(1877)の11月頃のことらしい。10月でも12月でも良いんだけど。
だとすると「千代はまだ一つだっせ」はおかしい。満年齢では1歳である。しかしながら、当時の人は数えで年齢を勘定していたから、ここは「千代はまだふたぁつだっせ」と言うべきである。
この作り方で行くと2011年1月1日付「森鴎外『雁』の年齢など」で見たお玉の年齢も改竄の対象になりそうだ。尤も、2015年1月1日付「森鴎外『雁』の年齢など(2)」で見たように、お玉役をオバサン(失礼)がやっているのに比べれば、数えと満年齢の違いは大したことではないかも知れないが。
それはともかく、こういうことを平気でするのは、数えで書いてある当時の文献を、現代の人間は全く見ないという前提で作っている訳だ。繰り返しになるが古典教育の敗北である。当時の指導層には反省文を書かせたいところだ。(以下続稿)
【1月4日追記】主人公の娘千代の年齢についてけちを付けてみたのだけれども、或いは「朝ドラPLUS」の方が間違っていて、千代が生れたのは明治10年(1877)に入ってからだったのかも知れない、と不安になって来た(モデルの娘が明治9年生だとしても、それはTVドラマとは別の話である)。だとすると年末まで「一つ」で、間違っていない。――改めて確認することとしたい*2。