瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(23)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(23)
 前回までで記事の紹介をほぼ終えたので、後は経歴の判明する人について調べて報告しようと思っておったのですが、なかなか調べに出る余裕を作れないのです。
 昭和3年(1928)12月11日付「讀賣新聞」の(二)面、発表記事に載る尾山氏と関田氏の受賞コメントについては、両氏について詳しく取り上げる際に紹介しようと思って11月25日付(09)では省略したのですけれども、年内にこれを果たすことは、この調子で行くとどうも無理のようです。そこで、両氏のコメントだけ先に紹介してしまうことにしました。
 まず尾山氏についてですが、既に紹介した見出しに続いて、6段めに次のような記事があります。

各選者によつてその手腕を裏書き/され八十二點の高位をもつて斷然/第一位を克ち得た『影繪双紙』*1の作/者尾山篤二郎氏は人も知る日本短/歌壇の雄で本年四十歳、歌集『曼/珠沙華』を初め『校訂西行法師全/集』等約二十册近くの著作物を公/にしてゐる。當選の報を齎して尾/山氏を本郷菊坂の菊富士旅館に訪/れるとにこやかに記者を迎へた氏/は流石に文壇老巧の落付をもつて/語る


 そして7〜8段めに談話が載ります。1字下げで行間が詰まっており振仮名はありません。

『あ、あれが當選しましたか。/それは光榮です。自分は歌壇の/人としては可なりな仕事をして/來たが生來の研究癖で維新史の/材料を漁りつゝあつた時、偶々/御社の大衆文藝募集のことを知/つて興味を起しあれを執筆する/氣になつたのです、あれを書く【7段め】のに苦勞したことがあるとすれ/ばそれは現今評判のいゝいはゆ/る大衆文藝といふものはどうい/ふものかと勉強のため〓讀した/ことです、その結果何か今の大/衆文藝には荒唐無稽といふやう/な馬鹿々々しいところがあるの/を感じて、一つ事實に即した史/實的背景をもつたものを書いて/みたいと思ひ、材料の豐富な維/新史の中にある實在の人物の動/きとその時代相とを描き出すこ/とに努めたことでありました。』


 最後に記者が、

小説の方面では氏はこれまで二三/の短篇を發表したことはあるが大/衆文藝方面への進出は今回が初陣/である

と纏めています。(以下続稿)

*1:二重鍵括弧は半角、開きは欠けているようだが補った。