瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

遠藤周作「幽霊見参記」(12)

・文藝別冊「遠藤周作」(4)
 それでは4月14日付(11)の続きで、初版116頁(増補新版146頁)上段19行め〜初版117頁(増補新版147頁)下段1行め、三浦朱門の語る「「熱海幽霊事件」の真相」について、眺めて置きましょう。
 まず初版116頁(増補新版146頁)上段20行め〜中段2行め、

――一緒にご旅行された先々で、面白/いエピソードがたくさんありますよね。/「熱海幽霊事件」のお話を、ぜひお聞/かせください。

とインタビュアーに振られて話し始めるのですが、遠藤氏との面白エピソードというと、やはりこの一件、となるようです。中段3行め(中段の右10行分は三浦氏の写真)〜下段4行め、

三浦 遠藤と私と、遠藤がその頃文化/学院の先生をしていまして、文化学院/の生徒四人ぐらいと、一泊の旅行に行/ったんです。初めは小田急鶴巻温泉/へ行こうと思って、降りたらあんまり/よくなかった。じゃ熱海のどこかへ行/こうと思ったら、生徒の一人に証券会/社の重役の娘がいまして、熱海の寮に/泊まれるかどうか、電話で確認しても/らった。そしたら、「とにかく熱海へ/行きなさい。連絡しておくから」とい/うことで、その証券会社の寮に行った/んですね。私と遠藤は二間かそこらの/離れに泊まって、文化学院の女の子は/母屋に泊まったんです。


 まず一番の違いが、文化学院の生徒4人ぐらいが同行していた、ということです。従来、遠藤氏・三浦氏の発表したものではこの点に触れていませんでした。
 これまで当ブログに挙げたものと比較して見るに、2014年9月26日付(07)に引いた『周作口談』改め『ぐうたら交友録』では、遠藤氏・三浦氏の2人で出掛け、たまたま熱海に泊まることになったように書いていました。
 2014年9月16日付(2)に引いた、『好奇心は永遠なり』に収録された中村希明との対談「幽霊の正体は欲求の形です」で、遠藤氏は「熱海の保養所みたいな旅館」と語っていましたが「みたいな旅館」ではなくて、ある「証券会社」の「熱海の保養所」だったのです。(以下続稿)