瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

遠藤周作「幽霊見参記」(07)

 9月21日付(06)の続きで、時代の下る例として、昨日まで確認して見た『周作口談』改め『ぐうたら交友録』の例を見て置きます。
 初出は講談社文庫版『ぐうたら交友録』に「週刊朝日」昭和43年(1968)1月5日(金)から4月12日(金)とあって、この一件に触れている「三浦朱門氏の巻」は4回目なので昭和43年1月26日号でしょう。“体験”してから10年余を経ての“回想”で、話として出来上がった形を示すものと言えましょう。
 まず前書きに当たる文章(『周作口談』〜41頁11行め・『ぐうたら交友録』単行本〜54頁15行め・文庫版〜41頁12行め)があって、以下、節の見出しとその位置を列挙するに、
・学識豊かな純潔紳士『周作口談』41頁12行め
          『ぐうたら交友録』単行本55頁1行め・文庫版41頁13行め
・湿った男のささやき『周作口談』45頁1行め
          『ぐうたら交友録』単行本58頁9行め・文庫版44頁7行め
・二人とも腰がぬける『周作口談』47頁14行め
          『ぐうたら交友録』単行本61頁10行め・文庫版46頁13行め
・この話は本当なんだ『周作口談』50頁6行め
          『ぐうたら交友録』単行本64頁5行め・文庫版48頁13行め
となっています。
 熱海の話は『周作口談』43頁3行め『ぐうたら交友録』単行本56頁10行め・文庫版42頁16行めに始まります。この章の凡そ7割方が熱海の話に宛てられているのです。
 以下、その書き出しを抜き出して見ましょう。『周作口談』の改行位置を「/」、『ぐうたら交友録』のそれを単行本「|」文庫版「\」で示しました。『周作口談』は44頁3行めまで、『ぐうたら交友録』単行本57頁10行め・文庫版43頁12行めまで。

 酒はのまんが、この男、大飯ぐらいで、
「朱門は茶碗で食わぬ。おヒツで食う」と我々の間では評判があるくらいだ。その彼の大飯ぐ|ら\い/のために、私は数年前、ひどい目に会ったことがある。
 それはその年も終ろうとするかなり寒い日だった。我々文士は大体毎月、二十日から二十|三、\四/日ごろまではたいてい忙しい。このころ、締切りが重なるからである。特に十二月は印|刷所の\関係/でメチャメチャになる。
 だからあれは二十四日以後の寒い日だった。ともかくも一年の仕事を終えた私は、急に温泉|で\も/行って手足を思いきり伸ばしたくなり、三浦も誘うと彼も行くと言う。
 そういうわけで汽車にのって伊豆に出かけることにしたのであるが、私の気持としては熱川|ぐ\ら/いに行って、ノンビリ一晩を休養するつもりだった。
 ところが小田原をすぎたころから例によって三浦が「腹がすいた」と言いはじめた。小田原|で\彼/はすでに駅弁をたいらげたはずだが、何か食うとかえってすぐ空腹になる男だから仕方が|な\い。や/むをえず私は熱海でおりて、ここで一泊することにしたのである。
 前置きが少し長くなったが、許して頂きたい。実際、この時、三浦の腹の虫が泣きはじめな|け\れ/ば、我々は熱海におりることはなく、熱海でおりなければ、我々は世にもふしぎなあの出|来\事にぶ/つからないですんだのである。


 この前置きには、いろいろ問題があるのだけれども、時期の問題は追って検討することにします。今は、遠藤氏は「数年前」と書いているのですが、初めに発表された「幽霊見参記」は、9月14日付(01)に見たように昭和32年(1957)1月号に発表されたのですから、もうしばらく前、ちょうど11年前のことになることの指摘に止めて置きましょう。
 では次に、宿の様子等を確認することにします。(以下続稿)