瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『大鏡』の文庫本(3)

岩波文庫30-104-1(3)
 第22刷と第34刷の比較の続き。
 1頁(頁付なし)扉は同じ。裏は白紙。
 7〜8頁「目  次」は8頁の最後の行が、第22刷は上部に「解  説」下部に半角漢数字で「三〇九」とあったのが、第34刷では上部が「解説・補説・系図」に変わっている。改行する余裕がなかったために増補した「補説」と「系図」を「解説」に附属させて示しているのである。
 9頁(頁付なし)中扉は同じ、上部中央にやや大きく「大  鏡」。裏は白紙。
 11〜276頁本文。
 277〜286頁「底 本 傍 注」。
 287〜307頁「板本系・披雲閣系統本による主要な増補本文」2段組。
 中扉からここまで、細かく見ていないが同じ(らしい)。
 309〜332頁「解  説」は最後、329頁5行め以下の「研究文献」が異なる。第22刷も第1刷そのままではない。
 すなわち、第22刷329頁5〜8行め、

 研究文献 本書に関する研究文献ははなはだ数が多いが、国文学 解釈と教材の研究 第二巻第/十二号(昭和三十二年十二月)所載「大鏡・増鏡研究文献総覧」・日本文学研究資料叢書『歴史物/語』Ⅰに網羅してあるので、それらを参照されたい。ここには比較的新しい単行本だけを掲げるに/とどめる。

となっているが、日本文学研究資料刊行会編『日本文学研究資料叢書』の『歴史物語Ⅰ』(昭和46年4月30日初版発行・昭和51年9月20日3版発行・有精堂出版・314頁・A5判上製本)は昭和39年(1964)刊の第1刷にはなかったはずである。この「研究文献」には一番最後、332頁3行めに「歴史物語Ⅰ 日本文学研究資料叢書              有 精 堂   昭46」と見えている。さらに昭和50年代のものが何点かあり、一番新しいのは昭和56年(1981)、昭和60年(1985)の第22刷はこの頃に増補されたものを増刷したものと思われる。
 これが第34刷では、329頁5〜7行め、

 研究文献 本書に関する研究文献ははなはだ数が多いが、日本文学研究資料叢書『歴史物/語』Ⅰ(有精堂)・日本文学研究大成『大鏡栄花物語』(国書刊行会)に網羅してあるので、そ/れらを参照されたい。ここには比較的新しい単行本だけを掲げるにとどめる。

となっている。この改訂は校注者松村氏の最晩年に、「補説」と「系図」の増補、そして前回確認した「凡例」の改訂に併せてなされたものであろう。「研究文献」の細目の異同については、第22刷よりも早い時期のものを見た上で検討したいと思っている。
 『日本文学研究資料叢書』は100冊刊行され、さらに昭和末年から平成初年に掛けて『日本文学研究資料新集』30冊が続刊された。作品・作家・ジャンルごとに、基礎的もしくは画期的研究として参照すべき論文を集めたもので、私も若き日にはこういう叢書に載るような論文を書きたいものだと考えていて、書き得た(!)と思っている(笑)のだが、こういう企画自体がなくなって、分けても私の専門はマイナーだからそんなことを夢想した若き日のあったことも忘れ果てていた。
 有精堂は私が院の修士課程に在籍していた平成8年(1996)秋に解散している*1。当時、近代文学専攻の同期が古書店でアルバイトをしていたのか、有精堂が潰れて(廃業して・解散して・倒産して――どう表現していたか記憶が定かではないが)在庫が安く放出されているから、欲しいのがあったら言ってくれ、×割引になる、みたいなことを言って来た。当時既に本を買わなくなっていた私は――私の要りそうな本は大抵何時行っても図書館の棚にあったし、もしそこで見当たらなくても図書館を梯子すればどこかに必ずあったから――少し考えないでもなかったが、結局1冊も頼まなかった。そのうち国文学界自体が凋落して、書棚から国文学関係書が見当たらなくなって来た。(以下続稿)

*1:廃業直前の社屋の写真が流一(1943生)のブログ「ぼくの近代建築コレクション」の2010-07-24「有精堂、檜画廊/神田神保町1丁目」に出ている。倒産した中小出版社の情報は乏しく、「國文學 解釈と教材の研究」の版元學燈社は数年前に倒産したばかりだから時期的に云って当然HPもあったはずだが、跡形もない。しかしながら有精堂については、上原作和(1962.11.28生)のブログ「物語学の森 Blog版」の2013-12-28「有精堂出版覚書」に廃業直前の様子などが述べられている。