瑣事加減

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森於菟『父親としての森鴎外』(1)

・大雅新書2(大雅書店・新書判並製本*1

父親としての森鴎外 (1955年) (大雅新書)

父親としての森鴎外 (1955年) (大雅新書)

・昭和30.4.10 初版発行(221頁)¥ 150.
・昭和30. 7. 5 再版発行 ¥ 150.*2
 国立国会図書館デジタルコレクションには昭和30年(1955)刊の2版が収録されているが「国立国会図書館限定」公開なので未見。
・筑摩叢書159筑摩書房・四六判並製本
父親としての森鴎外 (筑摩叢書 159)

父親としての森鴎外 (筑摩叢書 159)

・1969年12月20日 初版第1刷発行(351頁)
・1982年5月20日 初版第10刷発行・定価1200円
ちくま文庫筑摩書房
父親としての森鴎外 (ちくま文庫)

父親としての森鴎外 (ちくま文庫)

・一九九三年九月二十二日 第一刷発行(436頁)定価893円
 著者の生前に刊行された新書版に比して、叢書版・文庫版は倍以上の分量がある。
 これについては、文庫版429〜436頁、長沼行太郎解説 一つの鴎外論」の冒頭、429頁2〜3行め、

 本書は、森鴎外の長男・森於菟の鴎外関係のエッセイをあつめたものである。本の出来/る経過については、於菟の夫人・富貴の「あとがき」にくわしい。

とあって、叢書版347〜351頁・文庫版423〜427頁、森富貴「あとがき」を見るに、その冒頭、叢書版347頁3〜6行め・文庫版423頁2〜6行め、

 この小著は夫森於菟が父鴎外について書いたものを集めたものです。於菟の書いたもの|はむずかし/い研究家のとは違い、ただ父親として家庭内の子供からみた姿そのままを写し|出したのにすぎません。/私はこの本の校正をしながらも、於菟の思い出やまた父林太郎の|家庭人としての、今でも薄れること/のない記憶がつぎつぎと蘇ってきて、過去現在の境も|なく夢とまがう一月ばかりを送ってきたのです。

とある。「/」は叢書版の、「|」は文庫版の改行位置。――この記述によって、叢書版の編集に未亡人が当たったことが察せられるのだが、その時期については、まづ叢書版347頁12〜13行め・文庫版423頁13行め〜424頁1行め、

 私ども二人の金婚式も目の前に迫った昭和四十二年の暮、急に於菟に先き立たれた私は|【文庫423】頭の中にポ/ッカリと穴があいたままこの一年間、虚ろな日々を過してしまいました。【叢書347】

とあって、昭和43年(1968)の「一年間」を置いて、昭和44年(1969)になってからのようだ。
 以後、夫についての回想が続き、最後、叢書版350頁15行め〜351頁3行め・文庫版427頁6〜12行め、

 そんな主人のことを思い浮べながらぼんやりした頭の中もどうやら落つき、書いたもの|等少しずつ/整理しはじめた私は急に一冊の本に纏めてみたいと、出来ることなら三回忌の|頃までにと思いついた/のです。何といっても本に関係の深い茉莉を頼りに筑摩書房で吉岡|氏にお目にかかったのは初夏の頃/でした。思いがけなくこの願いが叶えられて鴎外関係の|ものを叢書の一冊として出版して下さること/【叢書350】になったのはこの上もない喜びでございます。
 終りにこの度短時日の中に出版にお骨折り下さった吉岡、高城、村上三氏並びに筑摩書|房のご厚意/を深く感謝申上げます。

とあって、未亡人の発案により、新書版を元に増補した、と云うより、新書版と同じ「父親としての森鴎外」を表題作としながら鴎外関係の著述を網羅する形で新たに編成したもので、版元が関与した時期は昭和44年(1969)の初夏から12月21日の三回忌まで、かなり急いで編集・刊行されたことが分かる。
 森茉莉の紹介した吉岡氏は吉岡実(1919.4.15〜1990.5.31)であろう。吉岡実については小林一郎(1955生)のウェブサイト「吉岡実の詩の世界――詩人・装丁家吉岡実の作品と人物の研究――」に詳しい。(以下続稿)

*1:1月12日追記1月12日付(3)に述べたように、版元名を誤っていたのを訂正した。

*2:1月10日追加。