瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(150)

 先日、蒸し暑いぼんやり曇った午後、初めて西国立駅で下車して、とことこ歩いて多摩図書館に行って見ました。6月23日付「山岸凉子『メタモルフォシス伝』(1)」にも触れたのですが、20日から今日まで「移転期間中の閲覧サービス提供準備(現閲覧室の一部改修及び書架整備)のための休館」と云うことなので、それ以前の状態を見て置くべく出掛けたのですが、目的も定めず、あまり時間の余裕もなかったので、大した成果もありませんでした。明日から12月19日の「移転期間中に行う閲覧室でのサービス等」に拠ると「書庫資料の出納」は移転先で開館するまで出来なくなってしまうので、とにかく書庫にある雑誌を何か見て置こうと思って、雑誌の目録類の並んでいる棚を見て行くと、2015年10月10日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(03)」に取り上げた、書誌書目シリーズ(78)『戦前期『週刊朝日』総目次』と同じ黒古一夫監修・山川恭子編集の、同時期の「サンデー毎日」の総目次が目に入りました。――私が戦前の「週刊朝日」を閲覧した施設には、昭和14年(1939)上半期の「サンデー毎日」を所蔵していないので、初めから開いて見ることをしていなかったのでした。
・書誌書目シリーズ(82)『戦前期『サンデー毎日』総目次』 黒古一夫監修・山川恭子編集
 ・平成十九年三月十三日印刷・平成十九年三月二十三日発行・ゆまに書房・A5判上製本
・上巻(530頁)創刊号〜9巻第58号(大正11年4月〜昭和5年12月)
・中巻(503頁)10巻第1号〜17巻第61号(昭和6年1月〜昭和13年12月)
・下巻(462頁)18巻第1号〜24巻第32号(昭和14年1月〜昭和20年8月)
 早速、赤マントの噂が東京から大阪へと伝播した昭和14年2月下旬から8月頃に見当を付けて見て行きますと、下巻の28頁上段6行めからの「『サンデー毎日 一九三九(昭和十四)年三月十二日号  /(第十八巻十三号)」に、上段20行め、

赤裏のマント(週間時評)        阿部眞之助 13

とあることに気付きました。時期からして赤マントの流言についてのコラムに相違ありません。
 早速、OPACで検索して、閲覧請求しようと思ったのですが18巻13号前後は欠号なのでした。戦前の大衆向け雑誌はなかなか揃いで所蔵されていないのです。国会図書館には18巻13号は所蔵されているけれども、「サンデー毎日」の戦前の分では約20冊が欠号になっており、かつマイクロフィッシュ化されているため所蔵されていても原本の閲覧は出来ません。――ですから、あっさり国会図書館で戦中の婦人雑誌の原本を閲覧出来てしまう『小さいおうち』には、2014年7月15日付「中島京子『小さいおうち』(38)」にも少し触れましたが、この点からも疑問があるので、追って記事にするつもりでそのままになっているのですけれども、それはともかくとして、私はどうもマイクロフィッシュが苦手なのです。だから、どうしても余所で見られないのでなければ国会図書館は避けたいところなので、たまたま「サンデー毎日」の原本を多く所蔵する施設の近くに行く用事があったのを幸い、ついでにそこも訪ねて、原本を閲覧することとしたのでした。仕事の帰り、晴れて空が青くて、私の中学時代の夏と云うと、良く晴れた炎天下を少しぼうっとした頭で延々歩いていたのですが、そんな、浮き立つ気分の中、時間は長く取れませんから、前後何冊かを閲覧請求して、十分な調べとは云えませんが、久し振りに清々した気分で帰途に就いたのでした。(以下続稿)