瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(164)

 9月2日付(160)に、「經濟雜誌ダイヤモンド」第二十七卷第七號に「【旬評】赤マント事件の示唆」を書いた近藤操(1894〜1979)について、昭和11年(1936)12月に「東京日日新聞」に統合された「時事新報」の社説委員であったこと、それから9月4日付(162)に、昭和14年(1939)の「サンデー毎日」第十八年第十三号(三月十二日号)に掲載された「東京日日新聞」編集局主幹・阿部眞之助「赤裏のマント」と共通する点があることに注意して置いた。
 もう少しこの点を確認したいと思って、差当り、略歴などが載っていないかと一般の公立図書館にも所蔵されている次の本を閲覧して見た*1
・三代宰相列伝10『加藤高明

加藤高明 (1959年) (三代宰相列伝)

加藤高明 (1959年) (三代宰相列伝)

・日本宰相列伝10『加藤高明
日本宰相列伝 (10)

日本宰相列伝 (10)

定価 一四〇〇円・時事通信社・278頁・B6判上製本
 もとのシリーズ名「三代」は明治・大正・昭和の3代。未見だが、新しいシリーズは「新装版」で本文は組み直していないらしいので挙げて置いた。――細川隆元監修「日本宰相列伝」全22巻は「内閣制度百周年記念」出版となっている。「三代宰相列伝」は昭和33年から34年に掛けて18人17冊が刊行され、細川氏も執筆者の1人である。すなわち、「日本宰相列伝」では5人5冊が新たに追加されている。
 波をあしらったカバー表紙、皮革風のエンボス加工のなされた白い見返し遊紙、扉もカバーと同じ柄、アート紙の白黒口絵4頁、前付酛頁、鄯〜鄱頁、細川隆元「監修の辞」は「昭和六十年八月吉日」付で、新装版「日本宰相列伝」での追加。鄴〜鄽頁「はしがき」から元版以来のものらしい。酈〜酛頁「目  次」。1頁(頁付なし)中扉、3頁から本文で271頁まで。272〜278頁は2段組の「略   年   譜 (年齢は数え年)」。
 奥付の上部、右上に「著者紹介」があり、2行めは左右を少し空けて明朝体で大きく「近藤 操(こんどう みさお」と氏名と読みを示し、以下明朝体で小さく、行間を詰めて、

明治二十七年山形県新庄市に生ま/る。慶応義塾大学経済学部卒業。/時事新報社説部長、東京日日新聞論説委員、中部日本新聞東京総局/長、戦後再刊の時事新報編集局長、/主筆産経新聞論説委員、地方制/度調査会委員、選挙制度審議会委/員を歴任。昭和五十四年死去。

とある。下部の奥付の発行日はまづ小さく下寄せで「昭和三十四年五月五日 初 版/昭和四十八年九月一日 第三刷」としてから、大きく「新装版 昭和六十一年一月十五日  」と示す。
 裏に「日本宰相列伝」全22巻の目録、最後の2頁は⑲鳩山一郎、⑳岸信介の広告で、⑲の左下には衆議院議長の推薦の辞があるが、⑳の左下は〔目次〕なので、後者の方が詳しく紹介されていることになる。
 さて、ここで本題である近藤氏の経歴だが、「時事新報」社説部長の後は、統合先の「東京日日新聞」に移って論説委員を務めたようだ。すなわち、流言の内容が「サンデー毎日」の阿部氏、そして「大阪毎日新聞」と共通し、他とはちょっと違っているのは、「東京日日新聞」―「サンデー毎日」―「大阪毎日新聞」と云う繋がりの中に近藤氏も属していたからであろう。(以下続稿)

*1:9月6日に借り、27日にこの記事を書いたが、蓮華温泉と『ウワサを追いこせ 』を先にしたため投稿が遅くなった。