瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

人力車の後押しをする幽霊(3)

 「幽霊車」については、海賀變哲『落語の落』(大正三年十一月十三日印刷・大正三年十一月十七日*1發行・定価金六拾五錢・三芳屋書店・序4頁+いろは分索引22頁+529頁)にも取り上げられている。
 本書の成立については「甲寅十一月」付の「序」に、序2頁4行め〜3頁4行め、

‥‥、僕が落語の落に筆|を執つたのは今から四年程前で、文藝倶樂部の増|刊に掲げたのであつた、夫から引續き増刊毎に執【二】筆して、爰に其數三百數十種に上つた、併し之を|以て落語全部を網羅したとは言へぬが、たま/\|三芳屋の主人から出版の交渉を受けたので、こゝ|で一と先づ打切る事とした、‥‥*2

とある(改行位置を「|」で示した)。なお、「序」4頁4行めに自らを「編者」とし、巻頭(1頁)に「海賀變哲編」、奥付にも「編輯者   海 賀 變 哲」とあるが、自身執筆しているので「編」は省いた。海賀變哲(1871.十二.五〜1923.4.13)は雑誌編集者・小説家。
 414頁5行め〜416頁5行め、

幽  靈  車
これは事實あつた話しだといふが、勿論眉に唾をつけて聞くべきものだ、/ある夜九段下を二人乗りの車を曳いて行く車夫があった、車上の客は車夫/に向ひ、何だか赤兒の泣く聲がする樣だといふと、私の 懷 で泣くのです/といふ、恰度登りに成つたので、客は鳥渡下りて氷店に入り、子供を抱い*3【四一四】て車を曳くのは何うした譯かと聞くと、實は女房に死別れたので死際はに/女房に誓つた詞を守り、後添は貰らはぬつもりであるが、困つたのは赤兒/の養育で、貧乏ぐらしであるから牛乳も買へず、夜中に泣き立てられる時/は實に弱わつてしまふが、さういふ時になると、死だ女房の姿が表はれて/乳を飲ませて呉れるので、子はスヤ/\寝入つてしまふ、また斯うして車/を曳いても、平地を行くより坂を登る時の方が樂である、何故かといふと/坂にかゝると屹度女房が跡押しをして呉れるから、大層樂に曳ける、夫だ/から人が私の事を幽靈車だと言ひます、と話す、客は薄氣味惡くもあり、/また不愍にもありするので、五十錢の金を遣り、もう爰で下りて行くから*4【四一五】いゝといふと、車夫は夫では餘り冥利が惡い、もう少し曳かせて下さいと/いふのを斷つて、二人の客はその店を出て、あの車夫に幽靈がつきまとつ/て居るとは驚いた、と話すと「イヤ幽靈車かも知れない」「何故」「道理でお/あしが無かつた」とこの落は無理につけた事は明らかである、事實はとも/かく、落語の価價は至つて乏しいものだ。*5


 オチは幽霊に「足が無」いのと、貧乏で「御銭が無」いのとを掛けている。確かに、この車夫が流行らないのは道理である。「赤児」を「懐」に抱えて歩く辺り、当時良くあった産後の肥立ちが悪くて死んだ女房が夜になると赤児に乳を含ませに出て来ると云う怪談を取り込んで膨らませようとしたのであろうが、かの『一杯のかけそば』みたいにこれ見よがしで、わざとらし過ぎるだろう。オチも理屈は通っているが、面白くはない。この話は人力車が廃れなかったとしても、「いらち俥(反対俥)」や「稲荷俥」と違って廃れたに違いないのである。
 ちなみに『落語の落』は大正七年九月七日発行(三芳屋書店)の版を底本として、小出昌洋編で東洋文庫611『新編 落語の落*6(1997年2月10日初版第1刷発行・2005年7月29日初版第5刷発行・平凡社・261頁)として刊行されている。

新編落語の落 1 (東洋文庫)

新編落語の落 1 (東洋文庫)

新編落語の落(さげ) (1) (東洋文庫 (611))

新編落語の落(さげ) (1) (東洋文庫 (611))

新編落語の落 1 (ワイド版東洋文庫 611)

新編落語の落 1 (ワイド版東洋文庫 611)

 231頁5行め〜232頁5行め「△幽霊車*7」は、大正3年(1914)の初版と、新字・現代仮名遣いで読点の一部を句点に改めるなど表記替えはあるが同文である。(以下続稿)

*1:国立国会図書館の蔵書は日付を手書きで「廿二」と訂正しているが、印刷されている日付に拠った。

*2:ルビ「ぼく・らくご・さげ・ふで|と・いま・よねんほどまへ・ぶんげいくらぶ・ぞう|かん・かゝ・それ・ひきつゞ・ぞうかんごと・しつ|ぴつ・こゝ・そのすう・すう・しゆ・のぼ・しか・これ|もつ・らくごぜんぶ・まうら・い|みよしや・あるじ・しゆつぱん・かうせう・う|ひ・ま・うちき・こと」。

*3:ルビ「いう れい ぐるま/じゞつ・はな・もちろんまゆ・つば・き/よ・だんした・にんの・くるま・ひ・ゆ・しやふ・しやじやう・きやく・しやふ/むか・なん・あかご・な・こゑ・やう・わたし・ふところ・な/ちやうどのぼ・な・きやく・ちよつとお・こほりみせ・はい・こども・だ」。

*4:ルビ「くるま・ひ・ど・わけ・き・じつ・にようばう・しにわか・しにぎ/にようばう・ちか・ことば・まも・のちぞへ・も・こま・あかご/やういく・びんばふ・ぎうにう・か・よなか・な・た・とき/じつ・よ・とき・しん・にようばう・すがた・あら/ちゝ・の・く・こ・ねい・か・くるま/ひ・へいち・ゆ・さか・のぼ・とき・はう・らく・なぜ/さか・きつとにようばう・あとお・く・たいそうらく・ひ・それ/ひと。わたし・こと・いうれいぐるま・い・はな・きやく・うすきみわる/ふびん・せん・かね・や・こゝ・を・ゆ」。

*5:ルビ「しやふ・それ・あま・みやうり・わる・すこ・ひ・くだ/ことは・ふたり・きやく・みせ・で・しやふ・いうれい/ゐ・おどろ・はな・いうれいぐるま・なぜ・だうり/な・さげ・むり・こと・あき・じゞつ/らくご・かち・いた・とぼ」。

*6:ルビ「さげ」。

*7:ルビ「ゆうれいぐるま」。