昨日の続きで、田辺貞之助『江東昔ばなし』に載る話を、先行する「深川育ちの深川ばなし」と比較して見よう。
11月6日付(5)に引いた「深川育ちの深川ばなし」では「家へ着いて金を払うとき、父は「これはおかみさんの分だよ」といって、余計に渡した。」とあって、その後、田辺氏も車夫の述懐を父親と一緒に聞いたように読めるのだが、本書では「父は車賃を払うとき「これはお神さんの分だよ」と余分にやったようだ。」とボカして、その後の車夫の話は田辺氏の視点からは語られない。どうなっているかと云うと、次のようになっている。上製本9頁5〜14行め・並製本12頁1〜11行め、
家へはいって茶の間にすわってから、父は母にこんな話をした。――雨に濡れた長手でなあ、|車/屋の足音が調子よくヒタヒタと聞こえていたが、ふと気がつくと車のうしろからペタペタと|別の足/音が聞こえてきた。それがどうも女の足音のようだったので、てっきり車屋の女房が後|押しをして/るんだと思ってな、車賃を払うとき、「お神さんの分だよ」と云って、少し割増しを|やった。そう/したら車夫が泣きだしそうな顔になって、「また出ましたか」と云うんだ。よく聞|いてみると、車/屋の女房は半年ばかりまえに子を産んだが、産後の肥立ちがわるくて、一月ば|かりで死んでしまっ/た。車屋はその子を女房の里にあずけて仕事に出ているのだが、「今夜の|ように小雨の降る陰気な/晩には、よくお神さんが後押しをしてくれたから早く来られたといっ|て、駄賃をいただくことがあ/るんです。かかあの奴、あっしの手助けをしようと思ってあの世|から出てくるのでしょうが、その/心根が不憫で不憫でたまらねえんです」と、車屋は涙声でし|みじみ話したのさ。
すなわち、田辺氏の父親が家に入ってから母親に全ての事情を説明する、その語りとして怪異の全てを語らせている。
気になるのは、まづ田辺氏の父親が聞いた足音が「深川育ちの深川ばなし」では「前の車夫のヒタヒタという強い足音とは別に、後でピタピタと小刻みに走る軽い足音」となっていたのが、本書では車夫とは「別の足音」が「ペタペタ」になっていることである。それから、「これはおかみさんの分だよ」と言ったのに対し、車夫が「また出ましたか」と応ずるのは同じだが、その後の車夫の説明が少し異なる。「深川育ちの深川ばなし」では「近ごろ幼い子供を残して細君に死なれたが」であったのが、本書は「半年ばかりまえに子を産んだが、産後の肥立ちがわるくて、一月ばかりで死んでしまった」と、時期と死因が具体的である。
車夫の妻の幽霊として出現するタイミングを説明する段は、本書では直接話法で哀れを誘うように書かれているが、「深川育ちの深川ばなし」は「雨の晩は必ずあらわれて、車の後押しをするので、時には余計な駄賃をもらうこともあるが、可哀そうで仕方がないと涙ぐんだ。」と地の文である。他にも本書では全体的に説明が細かくなっているが、これは紙幅が限られた雑誌原稿と、余裕のある単行本の違いとして許容される範囲であろう。
赤児がいるのは10月23日付(1)及び10月25日付(3)に筋を紹介した、初代三遊亭圓左(1853〜1909.5.8)の新作落語「幽霊車」に同じである。但し「幽霊車」は車夫から話を聞かされるばかりで、客が実際に足音を聞くと云う展開にはなっていない。その点では、10月26日付(4)に引いた、八代目林家正蔵(1895.5.16〜1982.1.29)が語った、初代三遊亭圓左の実体験とされる話の方が、赤児などいない老車夫のことになっているが、田辺氏の話に近いと云えよう。(以下続稿)