瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

正岡容『艶色落語講談鑑賞』(30)

 2月22日付(29)の続きで、正岡氏と大阪との関わりについて、『艷色落語講談研究』の「上方落語/島 め ぐ り*1」の末尾、46頁1〜14行めを抜き出して置こう。

「君は文団治と知ってるの」とその晩、富貴の棧敷で吉井師から訊かれたとき、「いゝえ」と簡単/に私は答えた。
 事実、私が下阪して先代円馬の伜分になったころ、もうこの老落語家は前述の中央以外の寄席に/しかでてゐなかつたから、相知る機会は持たなかつた。
 しかも、運命は十数年後当時五郎一座の脇役者だつたこのひとの伜の妻女を、私の愛人たらしめ/た。彼女もやはり同じ五郎一座の女優で、私の知合つたころは、道頓堀の大カフエーで、あばれ酒/する美人女給として識られてゐた。肉体関係が生じてから不和な夫のあることを打開けられてどう/にもならず、そのまゝ暫く関係をつゞけてゐたのだつた。
 その文団治の伜の喜劇俳優は、終戦直後に急逝した。
 私の昔の恋びとは事変以前夫と別れたと噂を聞いたが、杳として彼女の消息はそののち分らず、/未だに生死を詳にしない。
 その晩。
 油小路の師のお邸で、遅い晩酌を頂きながら私が、こんな青春のおもひでの一と片を申上げてゐ/ると、いつか外面*2では寂しく音立てゝ京特有の風花が降出してゐた。


 なお2015年6月22日付(01)に触れた『完本 正岡容寄席随筆』では「上方落語 島めぐり*3」は312〜321頁上段に掲出されており、この引用箇所は320頁下段6行め〜321頁上段(5行め)であるが、その前のこの噺の「正しい落」について説明した部分(320頁上段16行め〜下段5行め)と連続している。その分も含めて抜いて置こう。その前、1行分空けて、

 
 もちろん、これが正しい落ではない。
 これから唐へ入って、その地の遊里に遊んだ主人公が、い/い心持ちに酔って河東節を歌うと酒席の妓女たちがみな逃げ/て行くので、【320上】
□「何でや」
 と訊けば、
△「逃げるわけや、河東(加藤)やもの」
 と云う落の「唐茶屋」へ入るのがほんとうだとの説がある。/としたら、およそながいながい一席である。
「君は文團治と知ってるの」とその晩、富貴の桟敷で吉井/師から訊かれたとき、「いいえ」と簡単に私は答えた。
 事実、私が下阪して先代圓馬の倅分になったころ、もうこの老落語家は前述の中央以外の寄席に/しかでていなかったから、相知る機会は持たなかった。
 しかも、運命は十数年後当時〔曾我廼家〕五郎一座の脇役者/だつたこのひとの倅の妻女を、私の愛人たらしめた。彼女も/やはり同じ五郎一座の女優で、私の知合ったころは、道頓堀/の大カフェーで、あばれ酒する美人女給として識られていた。/肉体関係が生じてから不和な夫のあることを打開けられてど/うにもならず、そのまましばらく関係をつづけていたのだっ/た。
 その文團治の倅の喜劇俳優は、終戦直後に急逝した。
 私の昔の恋びとは事変以前夫と別れたと噂を聞いたが、杳/として彼女の消息はそののち分からず、いまだに生死を詳に*4【320下】しない。
 その晩。
 油小路の師のお邸で、遅い晩酌を頂きながら私が、こんな/青春のおもいでの一と片を申上げていると、いつか外面では/寂しく音立てて京特有の風花が降出していた。*5


 しかし「正しい落」と文團治の倅の妻女をめぐる回想の間で、切れているべきである。
 そう思って本書45頁に遡って見るに、7〜13行め、

 
 もちろん、これが正しい落ではない。
 これから唐へ入つて、その地の遊里に遊んだ主人公が、いゝ心持ちに酔つて河東節を歌ふと酒席の/妓女たちがみな逃げて行くので、
□「何でや」と訊けば、
△「逃げるわけや、河東(加藤)やもの」
 と云ふ落の「唐茶屋」へ入るのがほんたうだとの説がある。としたら、およそながい/\一席で/ある。
 

とある。本書は1頁16行で、45頁には1行分の空白がこの部分の前後の他に、2〜3行めの間(『完本 正岡容寄席随筆』ではここも詰めている)と合計3行分あって、すなわちここに示したのが45頁の後半と云うことになる。
 なお、これより前を見直して見るに、やはり何箇所か、原書にある1行分の空白を詰めているところがあるのである。
 それはともかく、『完本 正岡容寄席随筆』では「正しい落」の前の、四代目桂文團治が昭和26年(1951)2月4日の京都新京極の富貴の夜席で演じた「落」との間を1行空けたままにして、「正しい落」と「青春のおもひでの一と片」とを詰めているのであるが、どのような基準でこのような判断を下したのだろうか。もし詰めるとすれば、文團治の「落」と「正しい落」の間の方であろう。――尤も、「正しい落」と「青春のおもひでの一と片」の間の1行空白は、45頁の最後で小口側の余白に紛れているから、編集に際して気付かずに見落としてしまった可能性がある。しかし、内容的にここから後がこの文の結びになるのだから、読んでいて連続させているのは酷く違和感があるのである。――そういう編集をして欲しいし、さもなければ惜しまず1行空けをそのまま再現して欲しい。気付いてないとしてもそれなら結果的に原書のリズムに忠実になるのだから。(以下続稿)

*1:ルビ「しま」。

*2:ルビ「とのも」。

*3:ルビ「しま」。

*4:ルビ「よう/つまびらか」。

*5:ルビ「/とのも/」。