瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

人力車の後押しをする幽霊(2)

 昨日の続き。
 落語や講談の速記を載せた雑誌「百花園」は明治22(1889)年5月から明治33(1900)年11月まで全240冊が刊行された。

 国会図書館に行けば平成26年(2014)刊(日外アソシエーツ)のデジタル復刻版が閲覧出来るのだが、すぐに行けそうにないので、今は刊行時期を噺の成立時期の目安として示すに止める。
 近代デジタルライブラリーで検索するに、生前の『圓左落語會』*1(明治四十一年十月五日印刷・明治四十一年十月九日發行・定價金廿五錢・三芳屋書店/松陽堂書店・前付+200頁)135〜148頁に載っており、歿後の『落語三遊集』(大正三年二月廿三日印刷・大正三年二月廿八日發行・正價金七十五錢・三芳屋書店/松陽堂書店・頁付なし)に収録される「□圓左ノ落語□」は、カットと頁付を省いているが本文は『圓左落語會』と同版。
 また『落語名人くらべ』(大正二年八月七日印刷・大正二年八月十三日發行・定價金五拾五錢・日吉堂本店・前付+48+54+48+44+40+48+41頁)167〜178頁*2に「三遊亭圓左口演/石原明倫速記」として載る。それから『落語十八番』(大正二年九月廿八日印刷・大正二年十月一三日發行・日吉堂*3・目次2+247頁)177〜192頁「◎幽靈車」にもやはり「三遊亭圓左口演/ 石原明倫速記」として載る。
 全て「悋気の火の玉」をマクラにしており*4、細かい比較はしていないが、同じ「百花園」の速記を元にしていると思われる。
 初代三遊亭圓左(1853〜1909.5.8)は初代三遊亭圓朝(1839.四.一〜1900.8.11)の弟子である。
 差当り、三遊亭圓生山本進*5『明治の寄席芸人』(青蛙房・353頁・A5判上製本)を参照して見た。
・青蛙選書38(昭和四六年一二月二五日発行・定価千五百円)
・新装改訂版(平成13年6月30日初版・定価3500円)
明治の寄席芸人

明治の寄席芸人

 188頁17行め〜197頁5行め「三遊亭 圓 左」の項に190頁15行め〜197頁4行め、「文芸倶楽部」第15巻第8号(明治42・6)掲載の未亡人と兄弟弟子の談話をまとめた(石谷)華堤「▽圓左追憶録」を引くが、191頁9行め〜193頁6行め、未亡人ふぢ「▼圓左の平素」、8段落あるうちの4〜5段落(192頁5〜10行め)に、

▼芸には実に熱心で、しょっちゅう芸のことばかりを考えておりましたようで、つたないながらも自分で新作/を致しましたり、また先生方に願って、珍しい噺を教えて頂くのを、何よりの楽しみと致しておりました。
▼で、新しい噺が一つ出来上がりますと、まず私に話して聴かせまして、それからお隣りなり、またご近所の/ご懇意な家へあがって、こういう噺が出来ましたと言って、演っては聴いて頂いて、そうしてじゅうぶん練り/に練ったうえで高座へ掛けて、幸いにお客さまの御意にかないますと、それはまるで鬼の首でも取ったように、/大喜びに喜ぶのでございます。

とあって、どうやら初代圓左の新作らしいのである。(以下続稿)

*1:巻頭題(1頁1行め)に拠る。尾題(200頁5行め)は「三遊亭圓左落語會」。

*2:頁付は3話ごとにまた(一)から打ち直されており、21話載るので(一)の頁付が7度出て来る。「目次」は演題と演者のみで頁を示さない。「幽霊車」は11番めに載っており、頁付は(七一)から(八二)まで(17〜28頁)である。

*3:定価なし。日吉堂本店とは住所が異なる。編輯兼發行者も別人。

*4:もちろん「悋気の火の玉」と云う演題には触れていない。

*5:青蛙選書版は「著者 三遊亭圓生」のみで振仮名は「さん ゆう てい えん しよう」。新装改訂版は「著 者 六代目三遊亭圓生/編 者 山本 進」振仮名「さんゆうていえんしょう」。