瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

今野圓輔『幽霊のはなし』(07)

 昨日の続きで、第一章の4節めを見て置こう。
 72頁、章題と同じ大きさの明朝体、3行取り1字下げで「タクシーに乗る幽霊族*1」とあり、さらに1行空けて、3行取り2字下げで一回り大きなゴシック体の項目名。要領はこれまでに同じ。
  釜トンネルの怪*2(72頁2行め〜)
    イラスト、73頁上
    末尾、73頁4行めに小さく「(毎日新聞 昭和45年8月27日)」。
  消 え た 子 ど も(73頁5行め〜)
    これも同じ釜トンネルの怪だがタクシーではなく徒歩の登山者。
    イラスト、74頁右上
    末尾、76頁5行めに「‥‥。五年ほど前の話である。(サン新聞「山の怪異」 昭和32年
  幽霊界もスピード時代*3(76頁6行め〜80頁12行め)
    イラスト、77頁上・79頁左下(頁付なし)
    80頁5行めに小さく「(以上四話とも『いわき市史』第七巻)」。
    1話めは76頁7行め〜78頁1行め。
    2話めは78頁2行め〜7行め。
    1行空けて3話めは78頁8行め〜12行め。
    4話めは79頁1行め〜80頁5行め。
    ここまでが『いわき市史』からの引用ということになっている。
    1行空けて後日談と、過去の資料を挙げている。80頁6〜12行め、

 この幽霊さわぎは、翌年の昭和四十六年になってもわすれられず、週刊誌などに、写真いりで続/報がでている。四谷氏の手で、りっぱな幽霊の供養塔も建てられた。*4
 週刊誌「ヤング・レディ」(昭和36年8月2日)、によると、四谷氏の見たのは霧みたいな霊気にす/ぎなかったが、久保木良子さんは、同年四月十日の午前四時ごろ、かすり模様の着物をきて、手ぬ/ぐいを姉さんかぶりにした女性が、自転車を手でおしていくすがたを見たという。*5
 その女性のひざから下はまるで見えず、おしながら歩いていくその自転車の車輪は、ぜんぜん動/いていなかったという観察は、こまかかった。*6


 「四谷氏」は4話めの体験者で、昭和45年(1970)の「翌年」の昭和46年(1971)に「供養塔」を建てたとの続報が「週刊誌」に出たことになる*7。しかし、既に昭和36年(1961)4月の、同じ場所での目撃談が女性「週刊誌」に見えていた、と云うのである。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 ここまで若干の検討を加えつつ内容を紹介して見て、従来本書が注目されていなかったらしいことが分かってきた。夙に著名な『日本怪談集―幽霊篇―』刊行後の資料を活用しており、このまま埋もれたままにして置くのは惜しいと思う。今野氏の現代教養文庫『日本怪談集―幽霊篇―』『日本怪談集―妖怪篇―』そして『怪談』を復刊させた中公文庫辺りで、本書も文庫版で再刊出来ないものだろうか。校訂と解題を担当する準備は、これからしましょう。つまりこのまま最後まで内容を見ていくつもり。(以下続稿)

*1:ルビ「ゆうれいぞく」。

*2:ルビ「かま・かい」。

*3:ルビ「ゆうれい」。

*4:ルビ「/く ようとう」。

*5:ルビ「/もよう/あね」。

*6:ルビ「/かんさつ」。

*7:この辺りがちょっと分かりにくいのだが、詳細は『いわき市史』や「週刊誌」に当って見た上で報告したいと思う。【11月17日追記】『いわき市史』を見たが、今野氏の記述は混乱しているとせざるを得ない。詳細は別に記事にするつもりである。