瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

人力車の後押しをする幽霊(6)

 11月6日付(5)に引いた、田辺貞之助(1905.1.30〜1984.9.7)の体験談を読んだとき、22年前になるが同氏の最晩年に刊行された『江東昔ばなし』を読んでいた私は、――これは『江東昔ばなし』に、もっと整った形で出ているに違いない、と(内容は殆ど忘れていたが)思って、「文藝春秋デラックス」よりは上製本『江東昔ばなし』の方があちこちの図書館にあるので、早速所蔵する図書館に出向いて、確かにより詳しい形で載っていることを確認したのだが、並製本『江東昔ばなし』が今年刊行されたことに気付いたり、さらには『江東昔ばなし』という本の成り立ちにも、いろいろと問題があることに気付かされて、そっちの確認に気を取られて『江東昔ばなし』に載っている形を紹介するのに、随分手間取ってしまったのである。
 今、手許に田辺氏の昭和30年代の著書『女木川界隈』と『うろか船』がある。まだ途中までしか読んでいないが、どちらも幼時の回想を含み(特に前者)本書と重なるところが多いようだが、ざっと目を通した限りでは、この話は載っていないようだ。この2冊についても細目などメモを作って置くつもりだが、この話の考察には入れなくて良いので詳しい紹介は後回しにする。
 まづは文藝春秋デラックス 移りゆくものの記録「江戸と東京」」(昭和50年11月号/第2巻第12号・昭和50年11月1日発行・700円・文藝春秋)掲載の「深川育ちの深川ばなし」との異同に注意しながら、『江東昔ばなし』に載る、人力車の後押しをする幽霊の話を眺めて置くこととしよう。
 「江東昔ばなし」の章については11月26日付「田辺貞之助『江東昔ばなし』(2)」に細目を示した。「1 深川のあちこち」の節の3項め「長手という道」にこの話は出ている。「深川育ちの深川ばなし」では「下町のオカルト話」として紹介されていたのだが、本書では怪異談を集めた同じ章の「3 江東のミステリー」ではなく、道についての思い出として「1 深川のあちこち」の方に取り上げられているのである。
 冒頭の段落は上製本7頁12〜14行め・並製本10頁5〜7行め、

 長手とは昔の黒江町、今の永代二丁目から斜めに北東へ走り、深川不動尊富岡八幡宮の裏|を通/って、木場のうしろで仙台堀川と並び、末は荒川の新葛西橋まで行く古い道である。砂村|方面から/深川へ行くにはかなり近道であった。

とある。「深川育ちの深川ばなし」では「不動様のうらを通って木場の北を抜け、斜めに東北へ向かう道がある。」として「長手」という道の名称を示していなかった。
 以下、この「長手という道」に関する思い出4つ語られているが、人力車の後押しをする幽霊の話は3つめである。
 1つめ(上製本7頁15行め〜8頁8行め)は「満一歳にならない時分」の「明治三十八年の暮れごろ」に「はじめてこの道を通」ることになった事故について、もちろん「後で父から聞いた」その内容を述べている。
 2つめ(上製本8頁9〜18行め)については少し疑問点があるので、前置きに当たる1段落め(上製本8頁9〜12行め・並製本11頁3〜7行め)を抜いて置こう。

 次にこの道を通ったのは五、六歳の冬の晩で、これは私の一番古い記憶のひとつだ。父は深|川の/不動さまを信心していて、毎月二十八日のご縁日には欠かさずお詣りしていたが、時には|母や私を/連れていくことがあった。その日は納めの不動さまなので三人で行った。行くといつ|でも「お二階/でごはん」となるので、帰りがかなり遅くなった。私は父の肩車に乗って長手の|道を帰って来た。


 続く2段落めに「狐火」を目撃した思い出が述べてある*1のだが、この書き方だと「五、六歳の冬の晩」以前にも「連れていくことがあっ」ても良さそうだと思える。「五、六歳」とは、仮に数えで六歳(満5歳)とすると明治43年(1910)で「納め」の「縁日」ならば12月28日である。
 それから3つめ(上製本9頁1〜15行め)に人力車の後押しをする幽霊の話になるのだが、「深川育ちの深川ばなし」では、後述するように田辺氏も父親と一緒に車夫の述懐を聞いたように書かれているが、本書では後で父親に説明されたのを聞いて、上製本9頁15行め・並製本12頁12行め、

 母はこの話に感動して涙をこぼしたが、私も子供ながら泣きたくなった。

となるので、実際に人力車に乗って車夫と接していた間のことは、上製本9頁1〜4行め・並製本11頁14〜17行め、

 それから一、二年たったころだと思うが、ある晩、例のお二階からおりると雨がしょぼしょ|ぼ降/っていたので、人力車を呼んだ。私は蹴込みに立って父に抱かれた。人力車は長手の道を|すたすた/走った。そのうちに私は眠ってしまい、門の前に来て起こされた。父は車賃を払うと|き「これはお/神さんの分だよ」と余分にやったようだ。

と、眠っていたか寝惚けていたかして、記憶していないように書かれている。
 「深川育ちの深川ばなし」では「私が五つ六つのころ」のこととなっていたが、本書では満6歳(明治44年)から満8歳(大正2年)くらいのこととなっているようだ。それから、人力車に乗った理由が「雨も降って来たので」より先に「酒好きの父が少し飲みすぎたし」とあったのが、本書では省略(?)されているのである。(以下続稿)

*1:12月17日追記12月17日付「田辺貞之助『うろか船』(10)」に引用した。