昨日の続き。
ここでいったん松山ひろし『壁女』に戻って、前回引用した210頁9行め(文庫版243頁9行め)までに続いて、3行取りで「***」とあり(文庫版は5字下げ)、続く210頁11行めから述べられる、解説に当たる部分を少し(211頁4行めまで。文庫版243頁11行め〜244頁5行め)引いてみよう。
国道二四六号線の善波峠付近に、かつて「もう死なないで 準一」という看板が掲|げら/れていたのは事実です。ただしこれは一九六五年九月二日にこの場所で事故に|あい亡くな/った準一君という少年の父親が、これ以上、同じような事故で死者が出な|【243】いでほしいとい/う願いを込めて立てたものであり、複数の「じゅんいち君」が事故に|あったなどという事/【210】実はありません。
しかし、それにしてもなぜいるはずもない「小さな子どもの霊」の噂が生まれ、そ|れが/広まっていったのでしょうか。
この謎を解く鍵は、やはり例の看板にありそうです。
以下の松山氏の「都市伝説」発生についての意見は、ごく穏当なものであるのでここでは割愛する。――ここで見て置きたいのは、この辺りの「事実」を確認したのが「参考文献一覧」にある、小池壮彦『怪奇探偵の実録事件ファイル2』だと云うことである。
『怪奇探偵の実録事件ファイル2』154〜175頁「少年霊が事故をいざなう「じゅんいち君道路」の謎」の節の、1項め、154頁2行め〜158頁8行め「少女が指さす国道」は、初めて現地を訪れた小池氏が、通りかかった「母子」を呼び止めたところ、怪しい(?)男の「このあたりに『もう死なないで 準一』っていう看板があったのをご存知ですか?」との問いに戸惑う母親を後目に、人見知りしない「八歳」の「女の子」が「この道が『じゅんいち君道路』!」と叫んで指さしたのに由来する。さらに「……車にひかれたの! だから『じゅんいち君道路』!」という名称と由来を聞き、そして母親から、女の子が「生まれた年」に「看板を取りはずすとか言ってた」との証言を得る。そこで160頁3行め「看板が撤去されたのは、平成元年(一九八九年)ごろのことになる」との見当を付け、警察署から取材を始めるのである。看板は「警察でも話題になった」とのことだったが、事故は「昭和四十年代のはじめごろ」のことで、もちろん記録は既に破棄されている。そして応対した年配の男性署員に「……そんなこと調べてどうするの?」と、「或る「小倉日記」伝」みたいなことを言われるのである。
そして3項め、162〜167頁5行め「街路灯の立つ場所」の冒頭に、この問掛けに対する答えを示す。162頁2〜11行め、
こんなことを調べてどうするのか。改めてそう問われると、自分でもよくわからないと/ころがある。しいて言えば、れっきとした人間であった「準一」が、花子さんレベルの妖/怪「じゅんいち」に零落していることが、私にはあまり愉快ではない。身元不明の頭蓋骨/に肉付けして、人間としての顔を復元し、固有名詞を復活させたい気持ちがある。
善波峠に出るあやかしが、花子さんでもカシマ君でもなくて「じゅんいち君」であった/ことの必然性は、「準一」という固有名詞を持った少年の死という確固たる事実に根ざし/ている。そのことが、時間がたつにつれて、自然に忘れられるのはやむをえない。だが、/実際にあったことにもかかわらず、その根拠をあえてあいまいにし、単なる「噂」のレベ/ルにおとしめるという不当な忘れられ方は阻止したい。わかることは、わかるうちに、は/っきりさせておけばいい。それをしないで「噂」に興じる態度を思考停止というのである。
こうした小池氏の事実重視の姿勢は、『怪奇探偵の実録事件ファイル2』刊行の半年後に行われた座談会でも、2013年4月12日付「常光徹『学校の怪談』(003)」に引いたように、表明されていた。しかしその後、世間では固有名詞が語りづらくなっていき、小池氏の書くものもどんどん曖昧になって行く。根拠も示さなくなって行く。――ある程度止むを得ないとは思うのだが、しかしもう少し「はっきりさせて」も良いのじゃあないか、と、その後の小池氏の本を読むと、どうしても思ってしまうのである。(以下続稿)