瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

吉田悠軌『ホラースポット探訪ナビ』(1)

 2014年8月21日付「佐藤純弥「新幹線大爆破」(1)」の前置きに述べたように、私は怪談を面白がってはいるけれども、わざわざ怪談の起こった現場に出掛けようと思ったことは殆どない。例えば、2016年3月5日付「八王子城(1)」以降、何種類かの地図や航空写真を検討して見た八王子城跡にも、やはり出掛けないままである。
 その理由は、第一に、時間がかかる。今の私は、自宅から、職場と、図書館と、スーパーや八百屋と、この間をぐるぐる回ることに終始していて、休日を何処か、このローテーションから外れる場所に出掛けるために確保出来ていない。第二に、金もかかる。いつも定期券と、定期券の区間から外れる区間は回数券で回れる、大体決まった場所で全ての用事を済ませている。第三に、写真を撮る習慣がない。「新幹線大爆破」を見た友人宅の他にも、その頃、愛知県と富山県の友人宅に泊めてもらったことがあるが、それぞれ近くに由緒ある寺があったのでそこに連れて行かれた他は、別に何をするでもなく、写真の1枚も撮らずに帰って来た。当時は記憶力が良かったから訪問記を面白可笑しく友人たちに語ったものだったが、今は殆ど覚えていない。いや、道中、細かくメモを取っていたから詳細に語れたのだが、しかしそのメモもすぐに引っ張り出せない今、20年余り前の記憶は既に靄の中に消え去ろうとしている。――とにかく、自分で写真を撮らなくとも、人の撮った写真を見れば大体の雰囲気は分かろうというものだし、霊地に出掛けても別に厳粛な気持ちになったこともないので、わざわざ出掛けて見ようと思えないのである。
 だから怪奇スポット巡りのような本を借りても、現地がどうだとか云うところは、あまり注意していない。話の内容を把握するために位置関係や時代による変遷を確認して置きたいので、実際行って自ら確かめたいとは思わないのである。別に見えないし、何も感じない。だからこれまでも、2013年2月26日付「小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』(1)」や2016年8月30日付「広坂朋信『東京怪談ディテクション』(1)」など、現地を探訪した本を取り上げて見たけれども、やはり現地に行って見ようとは思わないので、専ら話の内容と、地図や航空写真に見る歴史的変遷と、文献にばかり注目してしまう。
 今回紹介する吉田氏の本は、実際に現地を、しかも全国を訪ねるという私には出来ない作業を積み重ねたものである。*1
吉田悠軌[編・著]『ホラースポット探訪ナビ 日本全国のヤバイところに行ってきた!2014年7月8日第1刷発行・定価580円・学研パブリッシング・251頁・B6判並製本

 副題はカバー表紙による。オールカラー。
 1頁(頁付なし)扉の標題の下にはゴシック体で2行「日本全国160か所以上 /ヤバイところに行ってきた」とある。
 2頁(頁付なし)の右に6行「はじめに」、3頁(頁付なし)にかけて「全国探訪マップ」として日本地図に紹介した場所を示す。
 4〜6頁(頁付なし)「もくじ」。
 7頁(頁付なし)「本書の/見方」は凡例で、028頁「No.014 千駄ヶ谷トンネル」を縮小して頁の各部を説明する。右側、縦組みの「■スポット名」の上に横組みの「■ジャンル」、下に「■ミステリーグラフ」はそのスポットの傾向を2つの軸に示した目安、さらにその下に「■マップ」を示し横組みで住居表示や最寄駅や路線も添える。見開き2頁取っているスポットは左頁が写真に充てられているが、1頁のスポットは上半分に写真、下半分に2段に本文。見開きのスポットの本文は右頁に4段組。見開きの左右とも上半分が写真で下半分(2段)が本文のスポットもある。本文の下に横組みで「■欄外情報」があり大半は「あわせて/行きたい」スポットを挙げ、一部は「豆知識」。
 以下の細目は別の機会に詳しく見ることにして、今回、この本を眺めて見て、この手の本に抵抗を覚えてしまう理由に思い当たったので、そのことだけ述べて置くこととしたい。
 116頁「No.082 旧制姫路高校・白稜寮跡*2」は「■ジャンル」のタグが「[ 心 霊 ][都市伝説][ 歴 史 ]」となっている*3。紹介されているのは、松谷みよ子が「怪談をつくる話」として、度々取り上げた、鳥越信に聞かされた怪談で、当ブログでも2011年10月1日付「『現代の民話・おばけシリーズ』(03)」で触れている。この話については、諸本を集めて本文の異同を確認しようと思っているのだがまだ果たしていない。それはともかく、吉田氏は本文上段「和初期の話。歴史の/浅い旧制姫路高校に/は「学校の怪談」が無かった。/そこで‥‥」と書き出し*4、下段5行めまでが話の梗概の紹介、6行めからがコメントで、

 現場が特定されている/「学校の怪談」としては最古/のものだろう。怪談をつく/ろうとした者が怪談とな/る、非常によく出来た話だ。
 旧制姫路高校は、現在の/兵庫県立大学キャンパス。/舞台となった寄宿舎「白稜/寮」は取り壊されているが、/その跡地に記念碑だけがひ/そりと立っている。

とあるのだが、まづ、この書き方だけでも他の旧制高校には既に怪談があったという前提な訳だし、他にもいくつもこの話に先行する学校の怪談の例は挙げられるのだが、差当り2011年5月16日付「明治期の学校の怪談(2)2011年5月17日付「明治期の学校の怪談(3)2011年5月18日付「明治期の学校の怪談(4)」に取り上げた、石井正己が「「「学校の怪談」の誕生」と呼んでいる例を指摘して置こう。もちろん学校の怪談の誕生が遠野であったとは遠野至上主義の極みと云うべきなのだけれども、――私がこの手の怪奇スポットに感じる違和感の第一は、この旧制姫路高校の例のように、他の場所にもあったはずの話が、たまたま紹介する人物がいたことで「ここ」にしかないかのように語られ始めることへの違和感というか、異議申立ての気持ちなのである。私にはこの気持ちがあるので2011年5月9日付「岩本由輝『もう一つの遠野物語』(6)」の最後に書き添えて置いたように、実は似たような話は全国各地にあったはずなのに、殊更遠野ばかり言挙げする人々を見ると(私の出発点もやはり『遠野物語』なのだけれども)冷めてしまうのだ。この旧制姫路高校の例は、後発の学校が明治以来の旧制高校の例を喰ってしまった按配だが、やはり全国各地の旧制高校・旧制中学などにあったはずのうちの1例に過ぎないのであり、このように特別なもののように取り上げられることに、疑問と不満を表明したくなるのである。(以下続稿)

*1:1月28日追記】かなり慌てて入力したため、読み返して見るに導入部との繋がりが分かりにくい。そこで、この1行を追加した。

*2:ルビ「はくりょうりょう」。

*3:2022年3月15日追記】題の右脇に黒地に黄土色で「「学校の怪談」がつくられた現場」と添える。

*4:1字めはドロップキャップで明朝体・2行×3字分。