瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

常光徹『学校の怪談』(006)

講談社KK文庫『学校の怪談』(3)
 昨日の続き。
 これから、休み休み、講談社KK文庫版『学校の怪談』とは何だったのか、考えて見たいと思うのだが、楢喜八による気味の悪い挿絵と、やはり気味の悪い、主として学校の写真が多用され、本文も全面に薄い色で模様を印刷した上に刷られており、常光氏は元来民俗学者なのだけれども、このシリーズは絵本に近い児童読物なのである。もちろん語り口も児童読物らしく脚色されている。原型が分からなくなる程ではないが、それなりに手を加えているので、話の典拠を一々示さない。私はそこのところに大いに抵抗、と云うか反撥を覚えるのだが、その事情について語るには、その前に私にとっての学校の怪談の位置*1を説明して置かねばなるまい。すぐに書けそうな気がするのだが、それがなかなか困難な作業なのである。
 そこでまづ、1月6日付「松山ひろし『真夜中の都市伝説』(4)」に倣って、依拠資料について見て置こう。
 各冊の巻末、奥付の前の頁に、まづ1行め、

この本に掲載した写真は、本文と直接関係があるものではありません。(編集部)

とある*2。ついで「参考文献」として、1冊めの学校の怪談では、

『現代民話考 第二期 Ⅱ』 松谷みよ子 立風書房
『消えるヒッチハイカー』 ジャン=ハロルド=ブルンヴァン著 大槻隆寛他訳 新宿書房
「若者たちのこわい話」 大島広志(「民話と文学の会会報」47号〜54号所収)
「ヤングの知っているこわい話/高校生」 米屋陽一(「不思議な世界を考える会会報」18号・19号所収)
「ヤングの知っているこわい話/大学生」 岩倉千春(「不思議な世界を考える会会報」17号〜20号所収)
「学校の世間話―中学生の妖怪伝承にみる異界的空間―」 常光徹(「昔話伝説研究」12号所収)

の6点を挙げている。
 これが『2』以降になると、さらに「ありがとうございました」として情報提供者の名前を列挙するようになるのだが、「参考文献」の方も、学校の怪談とは全く関係しない文献が多々挙がるようになる。――爆発的に人気が出たため、無理に続刊を拵えるための措置なのだが、それが可能になった理屈が、1冊めの「参考文献」の最後に挙がる、常光氏本人の「学校の世間話」にあるのである。
 「学校の怪談」と云えば、この「参考文献」の第一に挙がる松谷みよ子『現代民話考 第二期 Ⅱ』とは、すなわち『現代民話考[第二期]II 学校〈笑いと怪談/子供たちの銃後・学童疎開・学徒動員〉』のことなのだが、「笑い」と合わせて1冊にしたために『学校』と題してはいるが、「怪談」の方は2011年8月24日付「『ほんとうにあったおばけの話』(01)」に指摘したように、初出誌では「学校の怪談」と題していた。集められていたのは学校を舞台とする話ばかりで、校外であっても学校行事とか、生徒同士・教師と生徒という学校での関係の延長上に起こった出来事に限られていた。
 しかし、常光氏は同じ「学校の怪談」と題して、学校とは無関係の話を1冊めから取り入れ、その傾向は続刊ではさらに甚だしくなって行く。これじゃ「学校の怪談」とは云えないだろう、と思うのだが、ここに広義と狭義と云う定義の問題が出て来るのである。(以下続稿)

*1:もちろん常光氏の『学校の怪談』ではなくて、私の通った学校で聞いた、学校を舞台とする怪談の数々である。

*2:確か、ろくろ首の話の辺りに掲載されていた写真に、撮影に使った武蔵野市の小学校の女子児童の顔が判別可能な程度に写っていたために「ろくろ首」などと同級生に苛められると云う事件が起こり、講談社を訴えて裁判になったが原告敗訴で終わった、という一件を記憶しているのだが、ちょっとネット検索したのでは上がって来ない。幻なのだろうか、それとも、たびたび指摘している、ネット上では探しにくい平成初年の出来事、の一例なのだろうか。