瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』(17)

・第十七話孤独死(7)
 それでは、「読売新聞」2004年(平成16年)6月10日(木曜日)付朝刊の記事の、事の詳細に及んだ2段落め以下を抜いて置こう。

 調べによると、遺体が発/見されたのは一日午前十一【3段め】時四十分ごろ。二階建て木/造アパート「ベルメゾン二/号棟」(豊島区池袋四)を/解体しようと、業者が二階/の二〇三号室に入ったとこ/ろ、四畳半の畳の部屋で、/寝間着姿で布団に横たわる【4段め】遺体を発見した。部屋は施/錠されたままで、室内に荒/らされた形跡はなく、検視/の結果、遺体に外傷の跡な/どはなかった。
 アパートが建てられたの/は一九七二年。管理してい【5段め】た会社が二十年前に倒産/し、その後は空き家となっ/ていた。窓や出入り口のド/アは、閉ざされたままで、/さびの浮いた郵便ポスト/に、アパート名が記された/紙切れが張り付けてある。【6段め】


 9日夜にネット配信したと思われる記事では「廃屋」としていたが、こちらは全て「空き家」に改めている。この男性はちょうど管理会社が倒産した頃に死亡し、退去の確認もなされないまま、アパート自体が忘れられたようになっていて、盲点に嵌り込んでしまったのだろう。
 もちろん、この男性は一人暮しだったのだろうが、2chスレッド「【社会】「気付かれないまま」約20年前の白骨遺体、解体アパートで発見−東京*1には、2004年6月9日23時19分書き込みの「50」に、共同通信配信の記事の、

>男性には妻子がいたが、建設会社も家族も捜索願は出さなかった。

との一文を引いて「なぜだ?」とコメントし、2004年6月9日23時26分書き込みの「73」は同じ記事に拠って「遺骨を受け取ったのも「親族」であって/家族ではないのね・・・・」と述べているが、これについては「読売新聞」6月10日付朝刊に、以下の説明がある。

 同署では、部屋に身元を/示す書類があったことなど/から、遺体はこの部屋に住/んでいた一九二七年生まれ/の建設会社の社員と断定。/遺骨は関東地方に住む親族/に渡された。男性は妻と離【7段め】婚後、アパートに一人で住/んでいたとみられる。昭和/六十年代に入って、関係者/が男性の行方を捜したこと/もあったが、捜索願は出て/いなかったらしい。
 現場は、山手通りと川越/街道の交差点に近い、一戸/建てやアパートが混在する/地域。‥‥


 この後が前回の記事の冒頭に引いた、男性会社員(65)の証言になるが、その中で「ニュースを聞いて」と言っているように、9日のうちにラジオやテレビ等でも取り上げられたようだ。2chのスレッドでは2004年6月11日8時21分書き込みだから「読売新聞」朝刊の翌日になるが「553」に、テレビ朝日スーパーモーニング」が「現場の映像を映してる」とある。私はネットニュースをチェックする習慣がなく、新聞・テレビ等でも気付かなかった(見たとしても覚えていない)。
 ここで「1」に引用された時事通信配信の記事も見て置こう。

東京都豊島区池袋で解体作業中のアパートから、男性の白骨/遺体が見つかっていたことが9日、分かった。遺体や室内の/状況から、約20年前に死亡し、気付かれないままだったとみら/れる。
 
池袋署の調べによると、1日午前、建設作業員が解体作業のため/アパート2階の部屋に入ったところ、布団の中で白骨化した遺体を/発見した。遺体は1927年生まれの東京都出身の男性で、建設/会社に勤務していたことが分かった。


 「読売新聞」朝刊及び、9日夜配信の(読売新聞)の記事には「9日」という日付は出て来ない。
 それはともかく、私がここで、あれ、と思ったのは、このアパートの所在地である。――「山手通りと川越街道の交差点に近い」とあるが、小池氏の云う「お茶あがれ地蔵」のある豊島区上池袋に近いのは、明治通りと川越街道(及び春日通り)の交差点であって、「山手通りと川越街道の交差点」では全く方角が違う。(豊島区池袋四)丁目と云うのはこの交差点の南東側一帯で、当ブログでは2013年12月18日付「赤いマント(58)」に池袋4丁目23番地8号にある豊島区立池袋小学校に触れたことがある。(以下続稿)

*1:このスレッドは2004年6月30日に「1000」に達して書き込めなくなっている。その間に「読売新聞」朝刊の記事が参照された形跡はない。