・図版
本書の特徴は、当時の新聞記事を多く転載していることである。それから、現場の写真も少なくない。
そこで図版について、それぞれのキャプションを列挙して置こう。新聞記事のキャプションは記事の下に明朝体左寄せ。現地写真のキャプションは左にゴシック体上寄せ。
それぞれの章の題は今回、奇数頁左上に明朝体横組みで入っているものを使った。特に注記しない限り新聞記事は全頁に大きく掲出されており、頁付はなく、奇数頁の場合、ヘッダの題もない。
第1章 千葉大女医殺人事件
・5頁「千葉日報1983年1月8日」
・7頁上「死体が発見された現場」
・16頁「千葉日報1983年1月18日」
・25頁「千葉日報1983年2月3日」
・48頁上「現在は空き家になっているかつての新居」
・51頁上「二人が通った千葉大学医学部」
・62頁「千葉日報1983年4月2日」
第2章 高校教師教え子殺人事件
・67頁「岐阜日日新聞1986年10月20日」
・69頁上「黒焦げ死体が発見された現場」
・76頁上「今でも金津園で営業している貴公子」
・78頁「岐阜日日新聞1986年10月20日」
・81頁「岐阜日日新聞1986年10月23日」
・82頁上「犯行が行われた岐阜西工高」
・90頁上「現在の東カンキャンステール」
・95頁上「久世の住んでいたライオンズマンション高岳」
第3章 墜ちた星――愛人殺害事件
・101頁「朝日新聞1976年5月8日夕刊」
・103頁上「事件が発覚した駐車場」
・109頁「朝日新聞1976年5月9日朝刊」
・111頁左「朝日新聞1976年5月8日夕刊」
・113頁上「二人が同棲していた六本木のマンション」
・122頁上「克美の五反田の自宅」
・126頁上「洋子さんの働いていた新宿のソープランド」※被害者は仮名。
・132頁上「結婚式をあげたホテル」
・137頁左「朝日新聞1976年8月23日夕刊」
・140頁上「朝日新聞1977年9月1日夕刊」
・145頁上「朝日新聞1989年5月12日朝刊」
第4章 大学助教授教え子殺人事件
・151頁「朝日新聞1973年9月15日朝刊」
・155頁上「死体が発見された石廊崎」
・155頁下「一家四人が飛び込んだ現場」
・157頁「静岡新聞1973年9月6日夕刊」
・162頁上「二人の知り合った立教大学」
・165頁上「密会の場所だった西池袋のアパート」
・165頁下「大場一家の住んでいた東洋マンション」
・167頁「朝日新聞1973年10月31日夕刊」
・171頁「読売新聞1973年8月21日夕刊」
・179頁上「犯行が行われた別荘」
・179頁下「死体を埋めた場所」
・182頁「静岡新聞1974年3月1日朝刊」
第5章 愛人の子殺人事件
・189頁「サンケイ新聞1974年10月30日夕刊」
・195頁上「八巻が通学した南葛飾高校」※元被告は仮名。
・201頁上「事件の舞台となった葛飾区堀切」
・219頁上「殺人の舞台となった“愛の巣”」
・230頁「サンケイ新聞1974年10月3日夕刊」※「11月」の誤り。
・233頁左「サンケイ新聞1975年6月6日夕刊」
新聞記事は事件発覚、犯人逮捕、新事実の発覚などのポイントごとに採録*1されている。特に地方紙や縮刷版のない新聞は見るのが面倒なので有難い。――新聞記事から時代が、現地写真から土地の空気が感じられるようである。(以下続稿)