瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

お茶あがれ地蔵(3)

・広坂朋信『東京怪談ディテクション――都市伝説の現場検証』(2)
 それでは4月11日付(2)の続きで、「お茶あがれ地蔵とホステスの幽霊」から、お茶あがれ地蔵に関する記述を抜いて置こう。110頁2〜14行め、

 もう一つ江戸時代の話をしておく。東武東上線北池袋駅から大塚駅方面に歩くと六本の道がぶつか/る交差点に交番がある。そのそばの小さな石地蔵、これを人呼んで「お茶あがれ地蔵」という。*1

地蔵の由来は、池袋村辺の農夫勘左衛門という人の恋人が、周囲に結婚をはばまれ、気が狂って/このあたりをさまよい死んだことから、「お茶あがれ、お茶あがれ」と夜ごとにその女の怨霊が/現われて付近の人々を悩ましたので、霊をしずめるために建てたと伝えられる。あるいは苦界か/ら脱出してきた板橋遊女の行倒れを供養したものだともいわれる(林英夫『豊島区の歴史』名著/出版)

 当時の板橋は中仙道の宿場町、旅籠には飯盛り女の名目で遊女がいた。勘左衛門が結婚の約束をし/たのが板橋の遊女だったかどうかはわからないが、いずれにせよ、あの女が出したお茶など飲まれな/い、といわれるほどに差別された女性だったのではないか。
 現代の遊女は板橋ではなく、池袋駅界隈の盛り場にいる。そこにも幽霊に託して風俗業界の過酷な/状況を物語る怪談がある。今ならキャバクラが舞台になるのだろうか。この話はピンク・サロン全盛/期に出会った。


 「もう一つ」と云うのは「四面塔と首くくりの松」「池袋の女」に続いて「もう一つ」、と云うことである。
 さて、2016年8月30日付「広坂朋信『東京怪談ディテクション』(1)」に引いた「あとがき」にあるように、広坂氏は典拠を明示し、この例のように原文を2字下げでそのまま引用して、そこにコメントを付す。――広坂氏は2つの説を合わせて「農夫の恋人=板橋の遊女」の可能性を示唆するが、そもそも確かかどうか分からない説を、実はこうだったのではないか、と捏ねくり回すことにより、伝説はいよいよ不明瞭に、いや、全く違った方向で明瞭にされて行くのである。
 なお、お茶あがれ地蔵の所在地は文章では正しく説明されているのだが、35頁(頁付なし)「二 東京怪談探索」の扉の裏、36頁(頁付なし)に載る手書きの略地図「都心・荒川土手」では、「お茶あがれ/地蔵」の位置が間違っている。すなわち、山手線の内側、明治通りと川越街道及び春日通りの交差点(池袋六ツ又交差点)の東側に●が打たれている。
 この辺りにも確かに石地蔵があるのだが、お茶あがれ地蔵ではない。
・『池 袋六ッ又子育地蔵尊考』 昭和六十年十二月十六日発行・非売品・〈池 袋/六ッ又〉子育地蔵尊奉賛会・36頁・A5判並製本
 縞目を刷り出した赤橙色の表紙、本文はアート紙で、まず市販の地図から複写した「〈池 袋六ッ又子育地蔵尊考周辺図」を載せ、裏は白紙の前付があり、その次が1頁。3頁と33頁のみカラー印刷で、裏は白紙になっており頁付もない。奥付は裏表紙の裏、左下に入っている。(以下続稿)

*1:2019年8月18日追記】次の引用は原文に則って前後1行分空白、各行2字下げで示していたが、見づらいのではてな記法の「引用」で括った。