瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『砂の器』(6)

 昨日取り上げた「映画『砂の器』シネマ・コンサート」だが、過去にも似たような催しがあったらしい。
樋口尚文『『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画』 2004年3月20日初版第1刷発行・定価1700円・筑摩書房・255頁・四六判並製本

『砂の器』と『日本沈没』 70年代日本の超大作映画

『砂の器』と『日本沈没』 70年代日本の超大作映画

 私が本書を読んだのは、3月21日付(1)に触れた「デジタルリマスター2005 砂の器」の劇場公開を見た後だったと思う。ビデオテープ時代に自宅で映画を見ると云う習慣を身に付けなかった私は、DVDが主流になってからも久しく映画を見なかった。高校時代までは生活圏に映画館がなく彼女もいないからわざわざ出掛けて行って見なかったし、大学時代はバブル崩壊後でもともと趣味に金を掛けない私は映画館に進出しなかった。映画館に行くようになったのもDVDで映画を見るようになったのもここ10年ほどのことである。しかし最寄駅の近所にレンタルDVD店がない*1ので、専ら図書館で借りているのだが、図書館にはこの手の超大作映画を所蔵していないので、本書9〜12頁(頁付なし)「目次」に挙がる章・節の見出しに見える34作品のうち、『砂の器』『八甲田山』『犬神家の一族』『新幹線大爆破』くらいしか見ていない。『日本沈没』はテレビ放送で見たが、8月3日付「新田次郎『八甲田山死の彷徨』(1)」に触れた『八甲田山』と同じく、小学生だった私は最後まで見せてもらえなくて、翌日、親に最後はどうなったのか、尋ねた記憶がある。しかし、見せてもらえた場面を殆ど覚えていない。
 それはともかく、見ていなくても、監督や俳優について全くの無知と云う訳でもないし、樋口氏の文章は軽快なツッコミ調なのですらすら読めてしまう。
 前置きが長くなったが、15〜44頁「[第一章] 泣かせと旅情の文芸大作『砂の器』」に、今回の「シネマ・コンサート」に類似の催しについての記述がある。20頁1〜11行め、

‥‥、名画/座だとかリバイバルの再映だとか、本当にこの映画は日本のあちこちでよく上映されていて、し/かもその都度劇場には熱心な観客がたくさん詰めかけているのであった。今どき地方の映画館な/どいつも空いているのに、公開当時の九州の封切り館も、二〇年を経た北海道の名画座も、この/作品の後半の演奏会場となった埼玉会館のそばにあった名画座も、開館記念にこの作品をかけた/淺草の松竹も、今やない銀座の並木座も、どこもたいへん混みあっていた。そして、その満場の/観客が、いつしか鼻をすすって泣きだしたあげく、真っ赤な目をしてそそくさと小屋を出ていく/のである。こうしてディープなファンをつかんだ『砂の器』は、なんと作品中に登場する東京交/響楽団の楽曲演奏つきでのホール上映という、アベル・ガンスの『ナポレオン』も真っ青のイベ/ントも催されたが、こういうときなどリピーターの観客の熱気はもうただごとではなかったよう/である。


 この催しは、樋口氏がインタビュアーを務める「映画『砂の器』シネマ・コンサート」特設WEBサイトに、7月24日に掲載された「砂の器シネマ・コンサート開催記念特別インタビュー/“伝説の名子役・春田和秀(少年・本浦秀夫役)がはじめて語る『砂の器』の現場”後編」の、締め括りの3章め「色んな形で“次の世代” に思いを繋げられたらいいなと」にて、

そしてまた今回のこのシネマコンサート、今までってそれこそ、最近は西本智実さんが、昔は東京交響楽団組曲「宿命」だけはコンサートもやってましたけど、劇中音楽の隅々まで全部演奏するっていうのは、ファン的には夢のような出来事ですごいなと思うんです。‥‥

と樋口氏が述べている「昔は東京交響楽団も‥‥」に当たるのではないかと思うのだけれども「組曲「宿命」だけ」の「コンサート」では、とても「アベル・ガンスの『ナポレオン』も真っ青のイベント」とは云えないだろう。それとも、映画を上映しながら「「宿命」だけ」生演奏したのであろうか。
 西本氏指揮の「宿命」は、映画を流しながらの演奏ではないようだ。

組曲「宿命」

組曲「宿命」


 春田氏のインタビューは、今月下旬発売の樋口氏編著の次の本*2に収録されるとのことなので、本筋からは外れるけれども出来ればこの点をはっきりさせて欲しい*3 ついでに「昔」の「東京交響楽団」の「イベント」の詳細(開催時期や内容)も分かると嬉しいのだけれども。(以下続稿)

*1:転居して来た頃にはあったのだが、じきに再開発のため閉店してしまった。

*2:昨日の記事に列列挙した新聞広告には、この本の書影と同じ写真が使用されている。

*3:8月10日追記8月9日付(7)に見たように、樋口氏は最近のコラムではこの点について(本書の書き方とは齟齬するように読めるが)もう少し詳しく書いている。