昨日取り上げた「東京交響楽団の楽曲演奏つきでのホール上映」だけれども、丁度昨日、映画.comでも2017年8月8日13:00付でインタビュー「「砂の器」伝説の名子役、春田和秀さん 43年を経て語る子役という“宿命”(1)」が公開されていることに気付き、今日、2017年8月9日13:00付で「「砂の器」伝説の名子役、春田和秀さん 43年を経て語る子役という“宿命”(2)」が公開されたので、なおも関連した記事が最近出ているのではないかとさらに検索を掛けてみると、樋口氏の「樋口尚文の千夜千本」と云う連載コラムの「第94夜「砂の器」シネマ・コンサートによせて」に、シネマ・コンサートについてかなり詳しく述べてあるのに気が付いた。その中にアベル・ガンス『ナポレオン』と、過去の『砂の器』の演奏会について述べた箇所がある。
そこで急に思い出したが、1980年代にはこうしたサイレント映画の傑作のシネマ・コンサートが文字通り鳴り物入りのイベントとして催されていた。82年にNHKホールで鑑賞したアベル・ガンス『ナポレオン』はなんとフランシスの父、カーマイン・コッポラの作曲・指揮で、山場ではスクリーンがトリプルエクランになるなどド派手な演出であった。89年に日本武道館で催された新日本フィルハーモニー交響楽団によるD・W・グリフィス『イントレランス』も、この骨董的な傑作が本来は大正の時代に桁外れの入場料で公開された豪奢な大作映画であることを再確認させてくれた。これらのイベントはいささかバブル臭の香る「あだ花」感が気になったが、しかし作品がサイレント映画だったことでオーケストラ演奏が表現の重要な一部分をなして、わざわざイベントに仕立てているような違和感はなかった。
そういう意味でシネマ・コンサートの成否は作品の選定によりけりだと思うのだが、たとえば洋画ならくだんのサイレント映画はもとより、近作でも『ラ・ラ・ランド』のような映画をイベント的に愉しむというのはあるかもしれないが、なかなか日本映画でこのスタイルにふさわしい作品は見当たらないという気がした。そんなところへ松竹映画『砂の器』の、本篇中にも登場した東京交響楽団の演奏によるシネマ・コンサートが企画されたというのには膝を打った。私は80年代前半にやはり東京交響楽団が『砂の器』の代名詞とも言うべきピアノと管弦楽のための組曲「宿命」を演奏する(その後に映画を上映というセットであった)のを聴いたし、2015年にも西本智実指揮による日本フィルハーモニー交響楽団の「宿命」を聴いた。後者は「宿命」に加えて、芥川也寸志「弦楽器のためのトリプティーク」、ラフマニノフ前奏曲作品「鐘」の演奏もあって、この楽曲の因って来るところを示す工夫もあった。「宿命」を作曲・演奏したのはジャズピアニストでもあった菅野光亮だが、そのオーケストレーションを音楽監督として監修したのが芥川也寸志であり、劇的でロマンティックな曲調は否応なくラフマニノフへのオマージュを感じさせるだろう。
これを読むと「東京交響楽団の楽曲演奏つきでのホール上映」は、組曲「宿命」演奏の後に、映画の「上映」という2部構成で、サイレント映画の「アベル・ガンス『ナポレオン』」の「ド派手な演出」とは異なるようだ。
そうすると、昨日引用した『『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画』に、樋口氏がこれを「アベル・ガンスの『ナポレオン』も真っ青のイベント」と書いたのは、記憶の混乱によって*1“筆が滑った”と云うべきで、「映画『砂の器』シネマ・コンサート」特設WEBサイトのインタビュー記事の方が「樋口尚文の千夜千本」に「シネマ・コンサート」を主題としたコラムを準備していたためか、実際に即した書き方になっているようである。
いっそのこと、事のついでに東京交響楽団の事務局か、当時の関係者にこの「80年代前半」の「イベント」についての資料を発掘してもらって、詳細を明らかにして欲しいと思うのである。
記憶の混乱と云えば、松竹のサイト「シネマズ」の、シネマズニュース編集部による記事、2017.07.25「【特別対談】大谷信義×森田健作『砂の器』が生まれた現場、その撮影秘話」にも気になる箇所があった。これは対談での2人の発言をほぼそのまま連ねて行く形式ではなく、話した内容を記者がまとめる形で書かれているが、森田千葉県知事の話した内容と読める箇所に、
また、今西警部補(丹波哲郎)と吉村刑事が捜査の進捗を焼き鳥屋で熱く討論するシーンでは、リハーサルから酒をどんどん飲めと煽られたそう。実は2人とも全くの下戸で、充分に出来あがった状態での本番で丹波は「被害者三木のり平は〜」と喋る。この時の丹波の演技の凄まじさに誰もカットをかけない。終盤にようやく、被害者は三木”謙一”だと監督が気付いて撮影を止めたほどだったそう。
さらに捜査会議のシーンでは、「じゅんぷうまんぱん(順風満帆)」というところを丹波が間違えて「じゅんぷうまんぽ」と喋った箇所があった。しかしながらこの時は迫真に迫る緊張感を大切にしたいと結局カットしなかったんだとのこと。
とある。Forum Officeのサイト「CINEMATOPICS」にも2017年7月29日付でレポート「時を越える傑作『砂の器』だからこそ、シネマ・コンサートで! 大谷信義・松竹会長と森田健作・千葉県知事の特別対談」と題してほぼ同文で載っている。念のため引いて置こう。
また、今西警部補(丹波哲郎)と吉村刑事(森田)が捜査の進捗を焼き鳥屋で熱く討論するシーンでは、リハーサルから酒をどんどん飲めと煽られた。実は二人とも全くの下戸。充分に出来あがった状態での本番で丹波は『被害者三木のり平は〜』と喋る。この時の丹波の演技の凄まじさに誰もカットをかけない。終盤にようやく、被害者は三木”謙一”だと監督が気付いて撮影を止めたほど。
さらに捜査会議のシーンでは、『じゅんぷうまんぱん(順風満帆) 』というところを丹波が間違えて『じゅんぷうまんぽ』と喋った箇所があった。しかしながらこの時は迫真に迫る緊張感を大切にしたいと結局カットしなかったそう。
焼鳥屋のシーン(00:38:44〜41:07)の裏話は面白いが、捜査会議のシーンの方はいただけない。
昭和46年(1971)10月2日、和賀英良作曲・ピアノ演奏・指揮の交響曲「宿命」初演と同時並行で(もしくは直前に)行われた警視庁合同捜査会議の場面で、
「ウン。和賀英良としてはじゅんぷうまんぽ。
(煙草に着火)
まさに輝くような人生の途上にある。そこへ思いもかけない三木謙一が現れた。
コロシの動機としては、自分の生い立ちや戸籍詐称までバレる、こういうことだね」
と言った(02:07:01〜22)のは今西警部補(丹波哲郎)の報告を受けての警視庁捜査一課長(内藤武敏)である。
尤も「じゅんぷうまんぽ」はかなり一般的な(?)誤読で、そのことは「教えて!goo」に寄せられた質問、2004/02/02「順風満帆」の*2回答からも窺われるし、フジテレビ系「世界名作劇場」枠で昭和51年(1976)放送の「母をたずねて三千里」の第18話「リオの移民船」(5月2日放映)、昭和56年(1981)放送の「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」の第49話「陸が見える!」(12月20日放映)にて「じゅんぷうまんぽ」と読まれているそうだ*3。近年でも麻生太郎や大川隆法その他大勢がこのように読んでいるようだ。(以下続稿)