瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『砂の器』(5)

 「朝日新聞」47114号(2017年(平成29年)7月22日(土))夕刊(8頁)の1面(4版)トップに「映画 生演奏にのせて/オーケストラ 身近に体感」と云う記事が出た。上部(2段半)に7月1日から8月13日まで、全国13会場で開かれる「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシネマコンサート=東京都千代田区、‥‥」のスクリーンとその手前で演奏中のオーケストラのカラー写真が掲載され、3段め下半分はゴシック体横組みの見出し、4〜6段めの3段抜きで明朝体縦組みの副見出しがあり、4〜5段め2段抜きでリード文、4段め左が「■これから開かれるシネマコンサート」の一覧表で5作品、1つめは「パイレーツ・オブ・カリビアン」、3つめが「|「砂の器」   (東京交響楽団)|8月12、13日、東京で|」である。5段め左に客席をバックにピアノ演奏する和賀英良がカラー写真で掲載され「フルオーケストラで上映される映画「砂の器」の一場面©\1974・2005 松竹株\式会社/橋本プロダクション」とのキャプション。本文は4〜8段め、本作については末尾に、

 8月には、松本清張原作/の「砂の器」(1974/年)がフルオーケストラで/よみがえる。加藤剛演じる/悲運の天才音楽家が、ピア/ノでオーケストラと共演す/るクライマックスの場面が/有名だ。今回演奏する東京/交響楽団は、撮影当時もク/ライマックス場面の演奏を/担当した。
 映画音楽のコンサートに/永年携わってきた指揮者の/竹本泰蔵さん(61)は「日本/の映画でやりたいとずっと/思っていたので感無量。映/画館で鑑賞するのとは全く/違う体験をお届けしたい」/と語る。  (伊藤恵里奈)

と見えている。
 ここで気になったのは和賀英良(加藤剛)のことを「悲運の天才音楽家」と呼んでいることである。映画での和賀の人物造型については6月7日付(3)及び2016年5月22日付「松本清張『鬼畜』(11)」に原作と対比して簡単に触れたように、確かに、拠ん所なく三木謙一(緒形拳)を手に掛けてしまった、と云うことになっていると思う。だから三木の死体の顔面を潰したことも、証拠隠滅と云うよりサレジオ高校首切り事件のように、有無を言わさぬ三木の迫力(特に目力)に対する恐怖心から、無我夢中でやってしまった、と云う解釈になりそうだ。もちろん殺害自体は計画的ではあるのだけれども。
 それはともかく、このコンサートについては、新聞に広告が出ているのを度々目にしていた。
 データベースもしくは縮刷版を見れば漏れなく確認出来るだろうが、差当り手許に保存して置いたものを挙げて置こう。まづ、「朝日新聞」47051号(2017年(平成29年)5月18日(木)・36頁)の36面(13版)テレビ欄に、「本日よりオフィシャル最速先行予約(先着)受付開始!」と謳うカラー広告(7.1×8.1cm)が出ている。
 この広告には、同日開設された「映画『砂の器』シネマ・コンサート」特設WEBサイトのアドレスも載っているが、別に検索しようとは思わなかった。余りに頻繁に広告を目にするので、売れ行きが悪いのかと思って7月中旬に検索したのが最初である。

 5月26日に公開された広告動画「映画『砂の器』シネマ・コンサート 開催!」も、余り再生されていない(8月7日21:30現在3,177回)が、既に席は完売して今は見切れ席を発売しているのである。
 「朝日新聞」47087号(2017年(平成29年)6月24日(土))夕刊(8頁)の1面(4版)は題字の下にカラー広告(2.5×8.0cm)がある。
 「朝日新聞」47097号(2017年(平成29年)7月4日(火))夕刊(12頁)の1面(4版)及び「朝日新聞」47100号(2017年(平成29年)7月7日(金))夕刊(14頁)の1面(4版)の同じ位置、9段めと10段め上半分の左端(10段め下半分から12段めに当たる部分は大きな広告)に、同版のカラー広告(6.3×8.3cm)がある。
 「朝日新聞」47108号(2017年(平成29年)7月15日(土)・34頁)の23面(13版 神・東京)ラジオ・テレビ欄の右上隅に白黒広告(5.0×3.7cm)。
 「朝日新聞」47110号(2017年(平成29年)7月17日(月)・40頁)の27面(13版)「生活」欄の左端中央に白黒広告(8.2×7.5cm)。――コンサートシート(見切れ席)開放は7月11日に決定されているが、この広告でも5月18日付と同じく「全席指定¥9,800 ※税込、未就学児入場不可」となっているから、まだ空席も残っていたようだ。
 もちろん行かないのだけれども*1、特設WEBサイトを覗いて見て、意外の感に打たれたのである。(以下続稿)

*1:用事がなければ出掛けたか、と云うと、やっぱり行かなかったと思うが、少しは迷ったと思う。――今日の新文芸坐激動の昭和史 沖縄決戦」のように。