瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

朝日新聞名古屋本社社会部『映画風土記』(3)

 昨日からの上製本『映画風土記』の「まえがき」と文庫版『日本シネマ紀行』の「あとがき」の比較の続き。
 上製本4頁7〜16行め、

 執筆に当たったのは、当時、名古屋社会部と愛知、三重、岐阜県下の支局、通信局に在任し/た次の記者たちです。
 井上隆生、菊地育三(現ロサンゼルス支局長)、桃井健司(同東京社会部)、山本雄久(同横/浜支局)、阿部純和(同東京社会部)、毛井正勝、木村伊量(同政治部)、松崎三千蔵、上村勇/太郎、田上幹夫(同東京社会部)、柳沢保正(同外報部)、中生加康夫、古川隆司、高岡喜良、/荒木高伸(同東京社会部)、小沢俊夫、太田重信、古山順一、吉竹幸則、内海紀章、高木新、/横井正彦、佐藤一弘、中野耕吉(同東京通信部)、片木啓、渡辺斉(同東京社会部)、都丸修一/(同根室通信局長)=掲載順。
 連載当時の社会部長は秋葉武美(現北海道支社編集総務)、地方版課長は中生加康夫、三県/特集の担当者は橋本孜(現名古屋本社校閲部)、この連載企画のキャップは桃井健司でした。


 これは前回見たように文庫版では「別記」されている。すなわち頁付のある最後・212頁の次の頁(頁付なし)の下部中央に、

<執筆者>          =掲載順
井上 隆生 菊地 育三 桃井 健司/山本 雄久 阿部 純和 毛井 正勝/木村 伊量 松崎三千蔵 上村勇太郎/田上 幹夫 柳沢 保正 中生加康夫/古川 隆司 高岡 喜良 荒木 高伸/小沢 俊夫 太田 重信 古山 順一/吉竹 幸則 内海 紀章 高木  新/横井 正彦 佐藤 一弘 中野 耕吉/片木  啓 渡辺  斉 都丸 修一

とある。合計27名である。
 上製本は「まえがき」の最後、1行分空けて5頁4行め、8字下げで「一九八三年二月」、6行めは23字下げで「朝日新聞名古屋本社社会部長」、7行めは33字下げでやや大きく「谷  久 光 」とある。すなわち、連載終了から2年を経ずに刊行されているので、名古屋本社に留まっている記者も多かったが、文庫版の「あとがき」は最後に、1行分空けて212頁10行め、2字下げで「一九九三年五月」、11行め、28字弱下げてやや小さく「執筆者を代表して」、12行め、33字下げで「桃井 健司  」とある。すなわち、連載終了から12年、上製本刊行から10年を経て、この間にバブル景気とバブル崩壊があった。8月28日付(1)にて、文庫版の著者名が「朝日新聞社会部」で「名古屋(本社)」が抜けていることに疑問を呈したが、確かに執筆した記者たちは、在職していても名古屋本社の所属でなくなっていた人が殆どであったろう。
 上製本5頁1〜3行め、

 なお、本書に登場する人たちの肩書き、年齢などは新聞掲載当時のものです。文中で一部、/敬称を略させていただいたことをおことわりします。
 最後に、本にまとめて下さった連合出版の八尾正博氏に厚くお礼申し上げます。


 文庫版では212頁5〜9行め、

 なお、本書に登場する人たちの肩書き、年齢などは新聞掲載当時のものです。文中で一/部、敬称を略させていただいたことをおことわりします。
 この連載は好評で一九八三年、連合出版から『映画風土記』のタイトルで刊行されまし/た。このたび、映画の本の出版物で定評のある社会思想社で文庫化してくださり、高崎千/鶴子さんに編集いただき、心から感謝します。


 年齢は昭和55年度の満年齢(誕生日の前か後かで誤差)で、正確なところは掲載日を確認しないことには分からないし、掲載紙を確認出来たところで何年の生れなのかは確定出来ない*1。その意味でも私などには数えの方が便利だと思われるのである。
 文庫版は212頁と奥付の間に、頁付のない2頁がある。1頁めは今回の最初に引用したが、2頁めには下部中央に縦組みで小さく、

これは連合出版刊『映画風土記』(一九八三年)/の文庫版である。文庫化に当たり、「記者座談会」/を割愛し、取材メモをコラム形式で挿入した。

とある。すなわち、前回触れた「記者座談会」の内容は、座談会形式ではなく個々の映画各項に分割されて、うち1頁の下部に飾り枠(4.1×8.0cm)の囲みコラムとして挿入されている。(以下続稿)

*1:私は4月生なので、昭和55年度の1年間は殆ど満9歳だが、私を知らない人は「9歳」と出ていても、昭和45年(1970)4月から昭和47年(1972)3月の、いつの生れなのか確定させられない。記事の出た日から遡ること約1年間が誕生日の候補になってしまう。「小学3年生」とでも添えてあれば昭和45年度生の可能性は消去出来るけれども。