瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

水島新司『ドカベン』(38)

鈴木則文監督『ドカベン』(28)
 さて、敬遠の指示を無視して長島がサヨナラ負けする試合を、10月11日付(22)に述べたように私は夏の大会だと思っていたのだが、それは8月下旬に見たときに試合当日付のスポーツ紙の紙面をメモし損ねていたため、その後参照した予告篇に「さあ!センバツだ!」と云う文言があったのに釣られて、勘違いしてしまったのである。
 しかし、……だとするとそんな大きな大会ではない訳で、ここから夏の県予選に切り替えて行けば良いだけの話なのだから、そこまで責任を感じて退部まですると云うのは、大袈裟なように思うのである。
 原作では「大江」中学と対戦して7回裏にサヨナラ負けするのだが、本作では「大江高」校と対戦していて、ちょうど同じ日に柔道部が「武蔵高」校と県柔道大会の決勝を戦うのである。そして、山田が賀間に負けた直後に9回裏2死3塁で田渕と対決する。
 問題の当日のスポーツ紙だが「昭和52年5月16日  月曜日」付なのである。上部に横組みの「‥‥高校野球準決勝明訓大江」と云う見出し、その下の副見出しに「きょうベスト4激突 明訓長島対大江高打線」とある記事が写り、縦組み部分の見出しには「連続五試合‥‥/田‥‥」とあって、囲みの試合予定には「準決勝/明訓高―大江高/11時 横浜球場/京浜三高―宮浦商高/14時 横浜球場」とあるらしいが小さい文字ははっきり読めない。それに球場もどこかの練習グラウンドみたいなところで「横浜球場」には見えない。同じスポーツ紙の別の面には「県高校柔道覇者明訓武蔵」との記事が出ている。
 柔道と野球の試合が交互に写されるのだが、花園学院戦では柔道部の応援に来ていたソフトボール部員たちは、長島ファンらしくこの日は野球部の応援に、集合している。
 非常に綺麗に数字が記入された「SCORE BORD」が撮される。スコアボード(scoreboard)はスコアとボードで割らなくても良いらしく、かつボードの綴りは「BOARD」が正しい。
 まづ4回まで0対0のスコアボードが写り、左に先攻の「明訓高校」ナインが横書きで「5|徳田/7|杉本/6|山口/1|長島/?|島本/9|田口/2|池田/?|村尾/?|松本」と見える。島本は「3」か「8」だが左が切れているので確定出来ない。村尾と松本のポジションは全く見えない。右の後攻「大江高校」の方は「1|4|寒川/2|6|大館/3|9|中野/4|5|田渕/5|7|福田/6|8|吉岡/7|1|森山/8|3|赤石/9|2|細野」と完全に判明する。しかし妙なのは、大江高校の背番号「5」がサードゴロを打ってダブルプレーになるのだが、2塁に走っているのが背番号「7」なのである。4番「5」田渕の打席で5番「7」福田が出塁している可能性は全くないだろう。柔道の試合を挟んで、長島のレフト前タイムリーで2塁走者が生還してコカコーラ(250ml缶)を手にしたソフトボール部員たちが盛り上がる場面があって続いて長島と田渕の対決、田渕が右中間を破る長打を打ち、3塁ランナーが生還する場面がある。そこで丁度山田と賀間の対戦が始まる。
 そして山田が負けたそのとき、またスコアボードが写って、次のようになっている。

チーム
明訓  
大江    

 チーム名は縦に入っている。長島のタイムリーは6回表、田渕のタイムリーは7回裏でこの回2点。8回表の明訓が追い付く場面はない。
 さて、珍しく年相応の役を演じている明訓の河村監督(中田博久)がタイムを掛けて敬遠を指示するのだが、長島は勝負を挑み、初球はストライク見逃し、2球めはレフトに大きいファールフライ、直球では打ち取れないと悟った長島は「池田、捕ってくれよ」と念じつつ変化球を投げて空振りさせることは出来たが、池田捕手(高橋利通)が捕球出来ず、振り逃げで背番号「3」の3塁走者が生還してサヨナラ負けする。背番号「3」赤石は8番バッターだから、2死満塁で田渕に回る勘定になる。
 その敗戦後、同じ週の週末であろうか、校舎の屋上に佇んでいるユニフォーム姿の長島に山田が声を掛ける。

山田:「長島さん。野球部を辞めたそうですね」
長島:「ああ。責任を取った。お前も柔道部を辞めたそうだな。野球部にいる間、お前とバッテリーを組みたかった。史上最強のチームを作り、甲子園を制覇するのが俺の夢だった。だが全ては終わった。俺も今日限りボールとおさらばだ。」
山田:「長島さん、ぼくに最後の一球を受けさせてください」
長島:「山田」


 そして夕暮れのグラウンドでカクカク曲がる変化球を1球、見事受け止めるのである。
 一方、野球部の部室では他の部員たちが監督に詰め寄っている。

池田捕手:「監督、今日限り退部させてもらいます」
 皆、続々「僕もです」「退部します」と口々に言って1人座っている監督の前の机上に退部届をたたきつける。
監督:「君たち、甲子園を諦めるのか」
部員:「長島キャプテンのいない野球部には、なんの未練もありません」
監督:「これで、神奈川の名門、明訓野球部も解散だな」


 随分あっさりした監督である。――私たち3年生を追放してまで存続させた、わが山岳部の顧問*1の爪の垢を煎じて飲ませたい。
 そして長島が復帰したときに監督はいないことになっている。――長島と合わなくてこの結果になった訳だから、私立明訓高等学校の教員ではなく、恐らく野球専業で雇われていたであろう監督が、野球部解散後に去ったとしても、おかしくはない。しかし、生徒でもある野球部員たちが「長島キャプテン」が復帰したのに「なんの未練」も示さずに、復帰しようともせず、長島たち「新生野球部」からも全く問題にされていないのは、やはり何だか変だと思わざるを得ないのである。(以下続稿)

*1:詳細は4月3日付「山岳部の思ひ出(6)」に述べた。――山岳部は現在も存続しており、部室は同じ窓のない物置部屋を使っているらしい。