・新潮文庫547『蟹工船・党生活者』(1)
①昭和二十八年六月二十八日発行
- 作者: 小林多喜二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1968/05/30
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- 作者: 小林多喜二
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- 発売日: 1953
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・昭和五十六年八月十五日五十九刷 定価220円
- 作者: 小林多喜二
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・平成十五年八月二十五日九十二刷 定価400円*1
・平成二十年五月十五日九十七刷 定価400円
・平成二十年五月二十日九十八刷 定価400円*2
・平成二十年五月三十日九十九刷 定価400円
・平成二十年六月二十五日百四刷 定価400円*3
・平成二十年八月二十日百十刷 定価400円
・平成二十一年六月十五日百二十刷 定価400円
百二十刷より新しい刷を見ていないが、平成20年(2008)頃に凄まじい部数の増刷があったことが察せられる。
私は父の仕事の都合で幼稚園に入ってから高校卒業まで3回転居としたこともあって、それから人間的にも円満でなく人望も、それから人脈もないので基本的に面倒なことは避けて過して来た。いや、かなり失敗をした結果、そのように過ごさざるを得なくなったのである。従って、プロレタリア文学にはあまり興味がなかった。そういう運動に、希望が持てなくなってしまったのである。だから最近、改革とか革命とか云う文句を良く聞くけれども、またおかしな按配に変えられるんじゃあないか、なるたけそんなことはしないで欲しい、と云う気分なのである。決して無関心な訳ではない。満足もしていない。しかし、今後の流れに期待が持てなくとも、それに対抗する(止めさせるか別のやり方を提示するか)にしても、国会で「対案を出せ」と呼号されているのを見るにつけ*4、どうせ聞く耳持たない癖に、と思うとそんなことを真面目に考えるのが馬鹿馬鹿しくなるのである。大体、表面的な利点を数え上げてうっかり変えてみたら、実際には不都合の方が多くて困ったけれども、今更元に戻せない、と云ったオチになることが多いのである。
女子高で小論文を担当していたときには、生徒たちが余りに物を知らず、従順なので少々煽るようなことを云って、とにかく権利と云うものは自分で何とかしないことには、知らぬ間に不利な条件を呑まされることになって、……みたいなことを言ったりしたものだ。どうせ社会に出たら体制、と云うか大勢に順応することになるのだから、教員はそこに少々(極端に走らない程度に)疑問を抱かせるような按配で良いように思っている。
ところが、段々時事問題に対する反響がなくなってきた。生徒がニュースを全く見なくなり、いやTVを見なくなり、それ以前に新聞を全く読んでおらず、それと云うのも新聞を取らない家が増えて来たのである。従って、小論文を担当した初めの頃には、時事問題に慣れさせるために、新聞を読ませて気になった記事を切り抜かせ、その要約・感想を書かせて毎週提出させていたのだが、末期には物理的にも、精神的にも、それが不可能になって来た。下手をすると新聞を取っている家が少数派で、取っていても全く読んでいない*5。その頃から、私は普段の授業でも教材の視点を時事問題に当て嵌めて説明したり、考えさせたりしなくなった*6。そして生徒に話が通じているのかどうか、酷く不安を覚えるようになって来たのである。以来私自身、深く考える機会を機会を失ってしまった。だからと云って、TVのワイドショーのコメンテーターのような情緒的で力強い、浅墓な決め付けをしたいとは、思わないのだけれども。
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それはともかく、まだ読んでいないのだが、図書館から放出された五十九刷を入手したのを機会に、新しい刷を図書館から借り集めて見た。(以下続稿)
*1:2019年7月8日追加。
*2:2018年3月31日追加。
*3:2018年1月12日追加。
*4:当ブログでもしばしば述べたように、私は対案なぞ不要という立場である。採用されるはずの案について徹底的に議論する方が余程建設的だと云う、ごく当り前の立場を採っている。
*5:以前もテレビ欄しか見ていない、と云う生徒が少なくなかったが、しかし今はTVを見ないからテレビ欄も見ないのである。
*6:やっても反応が殆どないからである。
*7:以前ならただちに反応出来なくても少しヒントを出すと応じてくれたものが、全く知らない様子なので一々詳しく説明しないといけなくなった。これでは、例えとして使えない。かつ、口だけで説明したのでは分かりはしないから、端からそんな話題は持ち出さない方が良いことになってしまったのである。
*8:こう書くと馬鹿にしているようだが、――授業でやった内容を、考査で少し視点を変えて(捻って)出すのは以前から評判が悪かったものだが、その不平には、以前は悔しさが籠もっていた。ところが最近は悔しいと云う以前に「有り得ない」と云う反応なのである(授業評価の悪弊だろう)。しかしそれは女子高以降に勤務した学校での経験とも絡める必要があるので、未だ書くべき時期ではないと思っている。