いよいよ本題に入る。「三年酒」の原話は東晉の干寶『捜神記』もしくは西晉の張華『博物志』、唐の李瀚『蒙求』の「玄石沈湎」の注釈書に見えている。まづ『捜神記』から見て置こう。
・『和刻本漢籍隨筆集』第十三集(昭和四十九年八月發行・發行 古典研究會・發賣所 汲古書院・343頁・B5判上製本)
遊紙が1枚あって、同じ用紙の扉、文字は明朝体で上部右に「長澤規矩也 解題/和刻本漢籍/隨筆集第十三集/古典研究會 發行*1」とあり、左に「神 異 經・西 京 雜 記/搜神記・述異記・今世説/(近溪子)明道録 」と収録書目を示す*2
和刻本と云うのは、輸入した漢籍の版本に訓点を附して、版木に貼付して版を刻んで日本の書肆が摺刷したもので、すなわち白文の漢籍に訓読のための工夫(訓点)が追加された、日本人用に日本で作られた漢籍の版本である。
扉の裏は白紙、まづ長澤規矩也「和刻本漢籍隨筆集 第十三集 解題」が5頁(頁付なし)、6頁めと8頁めは白紙、7頁め「和刻本漢籍隨筆集 第十三集 目 次」。
1頁(頁付なし)「神 異 經」の扉、裏は白紙、3頁から下部小口側に頁付がある。和刻本の版面を影印で示すが、1丁ごとに柱*3を中央に開いて、上下2段、1頁に2丁ずつ示す。表紙は省略されており、分冊されている位置も分からない。
長澤氏の「解題」から、2頁めの後半『搜神記』に関する箇所を抜いて置こう。まづ7〜8行め、5字下げで右を1行半、左を半行分空けて明朝体で、
搜 神 記 二〇卷搜神後記一〇卷 舊題晉干寶撰 明胡震亨・毛晉校 (後)舊題晉陶潛撰 明胡震亨・ / 毛晉校 元祿十二年〔一六九九〕井上忠兵衞・林正五郎刊本 大九册
と題している。「大九册」は本の大きさが「大本」で9冊であることを示す。また亀甲括弧と西暦年は半角(以下同じ)。
9〜15行め、
寶の本傳に據ると、父の婢が再生したことに感じ、古今の靈異神祇人物變化のことをまとめてこの書を作つたといふ/が、先人は卷六・七は兩漢の五行志を全録し、又、諸書の引用文が必ずしも今本と一致せず、別の書を出典としたも/のもあるところから、今本は六朝人の文を綴り合はせたものであるといふ。後記に至つては、潛が死んだ元嘉四年/〔四二七〕以後の十四・五年の話も入つてゐるので、潛の「桃花源記」を收録してゐるから、潛の作に託したものである/といはれる。しかし、とにかく、内容は昔の靈怪談で、民間傳説の資料として、參考するに足りる。
所據のテキストは、神宮文庫の特別な配慮によつて使用できたもの、その底本は津逮秘書本。寛政八年〔一七九六〕、大坂/河内屋喜兵衞の後印本、更に後の堺の北村佐兵衞の後印本などがある。
「寶の本傳」は著者・干寶の正史『晉書』の傳。「兩漢の五行志」は前漢の正史『漢書』と後漢の正史『後漢書』の「五行志」。――この書き振りからすると『搜神後記』も収録するつもりだったようだが、『搜神記』しか収録していない。従って、恐らく9冊め、『搜神後記』の巻末にあるらしい刊記は収録されていない。
41頁(頁付なし)「搜 神 記」の扉、43頁「搜神記序」、44〜51頁上段「搜神記卷一」51頁下段〜55頁上段「搜神記卷二」55頁下段〜61頁「搜神記卷三」62〜66頁「搜神記卷四」67〜70頁「搜神記卷五」71〜80頁「搜神記卷六」81〜87頁上段「搜神記卷七」87頁下段〜89頁上段「搜神記卷八」89頁下段〜91頁「搜神記卷九」92〜93頁「搜神記卷十」94〜101頁「搜神記卷十一」102〜106頁「搜神記卷十二」107〜109頁上段「搜神記卷十三」109頁下段〜113頁「搜神記卷十四」114〜119頁上段「搜神記卷十五」119頁下段〜127頁「搜神記卷十六」128〜131頁「搜神記卷十七」132〜139頁上段「搜神記卷十八」139頁下段〜142頁上段「搜神記卷十九」142頁下段〜145頁「搜神記卷二十」。
「三年酒」の原話は「卷十九」に収録される9話中8話めで、五丁(141頁下段)表3行めから裏8行めまで。2行め以下は1字下げ。
狄希中山人也能造千日酒飲之千日醉時有/ 州人姓劉名玄石好飲酒往求之希曰我酒/ 發來未定不敢飲君石曰縱未熟且與一杯/ 得否希聞此語不免飲之復索曰美哉可更/ 與之希曰且歸別日當來只此一杯可眠千/ 日也石別似有怍色至家醉死家人不之疑/ 哭而葬之經三年希曰玄石必應酒醒宜往/ 問之既往石家語曰石在家否家人皆怪之/ 曰玄石亡來服以闋矣希驚曰酒之美矣而/ 致醉眠千日今合醒矣乃命其家人鑿塚破/ 棺看之塚上汗氣徹天遂命發塚方見開目/ 張口引聲而言曰快哉醉我也因問希曰爾/ 作何物也令我一杯大醉今日方醒日高幾/ 許墓上人皆笑之被石酒氣衝入鼻中亦各/ 醉臥三月
参考までに臺灣の中央研究院「漢籍電子文獻/資料庫」より【人文資料庫師生版 1.1】/選自【古籍十八種】に収録される『新校搜神記』にて、現代Chinaに於ける表記を見て置こう。
狄希,中山人也,能造千日酒飲之,千日醉;時有州人,姓劉,名玄石,好飲酒,往求之.希曰:「我酒發來未定,不敢飲君.」石曰:「縱未熟,且與一杯,得否?」希聞此語,不免飲之.復索,曰:「美哉!可更與之.」希曰:「且歸.別日當來.只此一杯,可眠千日也.」石別,似有怍色.至家,醉死.家人不之疑,哭而葬之.經三年,希曰:「玄石必應酒醒,宜往問之.」既往石家,語曰:「石在家否?」家人皆怪之曰:「玄石亡來,服以闋矣.」希驚曰:「酒之美矣,而致醉眠千日,今合醒矣.」乃命其家人鑿塚,破棺,看之.塚上汗氣徹天.遂命發塚,方見開目,張口,引聲而言曰:「快者醉我也!」因問希曰:「爾作何物也?令我一杯大醉,今日方醒,日高幾許?」墓上人皆笑之.被石酒氣衝入鼻中,亦各醉臥三月.
和刻本の訓点に従った読み下しは次回示すこととする。(以下続稿)