瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

上方落語「三年酒」の原話(12)

 昨日の続きで、書き下し文にして示す。字間右寄りに「ー」が打たれた熟語についてはこれを太字にして示した。なお読みを確定させていない箇所があるが、追々勘えて行くこととする。また「曰く、‥‥、と。」の発言を示す箇所を鍵括弧で示すこととした。

狄希中山の人なり。能く千日の酒を造る。之を飲めば千日醉ふ。時に州人有り。姓は劉、名は玄石、好て酒を飲む。往きて之を求む。希が曰く「我が酒發來未だ定らず。敢へて君に飲ましめず」と。石が曰く「縱とひ未だ熟せずとも、且く一杯を與へ得んや否や」と。希此の語を聞きて免れずして之を飲ましむ。復た索めて曰く「美なるかな。更に之を與ふべし」と。希が曰く「且く歸れ。別日當に來るべし。只此の一杯、眠ること千日なるべし」と。石別れて怍る色有るに似たり。家に至りて醉ひて死す。家人之を疑はず。哭して之を葬り、三年を經。希が曰く「玄石必ず應に酒醒むべし。宜しく往きて之を問ふべし」と。既に石が家に往きて語りて曰く「石家に在りや否や」と。家人皆之を怪みて曰く「玄石亡し來て服以て闋る」と。希驚きて曰く「酒の美矣而醉眠を致すこと千日、今合に醒むべし」と。乃ち其の家人に命じて塚を鑿り棺を破りて之を看る。塚上汗氣天に徹す。遂に命じて塚を發く。方に目を開き口を張り聲を引きて言ふを見る。曰く「快なるかな、我を醉はしむること」と。因て希に問ひて曰く「爾何物を作るや。我をして一杯大いに醉はしむ。今日方に醒む。日高きこと幾許ぞ」と。墓上の人皆之を笑ふ。石が酒氣 鼻中衝入せられて、亦各々醉臥すること三月


 まづ「千日酒」が醒める時機が「三年を経」となっているように、旧暦の1年は約354日、閏年は1ヶ月多く13ヶ月になるので約384日、3年が千と数十日(1100日は越えない)と云う勘定になるから3年は大体1000日、すなわち「三年酒」は「千日酒」と全く同じではないとしても、同じ効用を持つものと云って、良いであろう。
 『搜神記』と上方落語「三年酒」との違いだが、古代Chinaは墳丘に掘られた墓室に火葬せずに死体を棺に収めて葬るので「三年酒」のように、火葬にするしないで揉めることはない。従って、オネオネと高慢、ゴツキ或いはコツキもしくはコッキの3人による檀那寺の坊主の説得のような場面はない。
 狄希は自分で千日酒を造っているので、醒める時期を見計らって劉玄石の家を訪ねているが、「三年酒」での酒の出所は池田で造り酒屋をしている主人公のオッサンで、Chinaから渡って来た三年酒に手を付けずにいたのを酒好きの主人公に飲まれてしまう。狄希と違って親戚だから、当然主人公死去の知らせも来ているのだが、そこは知らせが来たとき旅行に出ていて不在で、埋葬も終わったところで帰宅して甥が死んだことになっていると知って、慌てて大坂に駆けつけることになっている。だから「三年酒」の主人公は3年眠っていないのだが、これは日本人の感覚として大陸的な発想に付いていけないところがあるからであろうか。土の中に埋めたせいで酒気の抜けるのが早かったものか、と云うことにして、数日で酔いが醒めているのである。
 すなわち、『搜神記』では「千日酒」と云う強烈な酒の存在が興味の中心であるのだが、上方落語では火葬云々の方に興味が移っていて、「三年酒」は、火葬云々の状況を作るために(都合良く)持ち出された、異国の珍奇な産物と云う扱いになっているのである。
 しかし、目が醒めた主人公が、周囲の大騒ぎを余所に、酔っ払いらしい、何とも間の抜けたことを言う、と云う展開は共通しており、私は『搜神記』の「千日酒」が、江戸時代に日本で和刻本などで読まれるようになった結果、最終的に落語に取り込まれるまでに至った、と見たいのである。
 しかし、この筋を通すためには、他のルートの可能性の低いことを指摘して置く必要があるだろう。そこで次回以降、『蒙求』の注にも引かれている張華『博物志』の「千日酒」について、検討して見ようと思う。(以下続稿)