瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

上方落語「三年酒」の原話(16)

 それでは昨日述べたように、当ブログよりも4ヶ月前に上方落語「三年酒」の典拠として『博物志』『搜神記』を挙げていた、paxchina のブログ「paxchinaのブログ」の記事、2017/9/7「千日酒(せんじつしゅ)」を、このままでは15日のYahoo!ブログ サービス終了により16日から閲覧出来なくなってしまうので、緊急避難的措置として全文転載して置くことにする。

 先日、「ツクツク法師の声」と題した記事の中で、「千日紅」の/花言葉が「色褪せぬ愛」・「不朽」だとお話ししたとき、いつの日/にか、「千日酒(せんじつしゅ)」も話題にしたいな~!と考えていま/した。
 ということで、今日は、その「千日酒(せんじつしゅ)」です。
 3世紀に中国で書かれた「博物志(はくぶつし)」に、こんなお話し/があるのです。
 昔、酒が無類に好きな劉玄石(りゅうげんせき)は中山(ちゅうざん)で/うまい酒を造る酒屋があると聞きつけて、早速に出かけて行き、酒/を求めた。酒屋は、彼に「千日酒(せんじつしゅ)」を売り与えた。と/ころが、彼にその飲み方について言い忘れた。飲み方を教えられな/かった劉玄石さん、その酒を飲んで家に帰るやバタンキュー。家人/は彼が酔いに当たってひっくり返っているんだとは知らず、ピクリ/とも動かぬ彼のことを死んでしまったと思ってお弔いを出し、土葬/にしちゃった。玄石に酒を売った酒屋は、以前、彼に千日酒を売っ/たときに飲み方を教えなかったことを思い出して、ちょうど千日が経ったからというのでそろそろ目が覚める頃だろうから出かけて行/ってみると、玄石(げんせき)の家では葬式を出して三年が過ぎたと/ころ。目が覚める頃だと家人に告げて棺を掘り出して棺の蓋を開け/たところ、玄石がちょうど眠りから覚めたところだった。このお話、/俗には「玄石飲酒、一酔千日(玄石 酒を飲み、一たび酔うこと千日)」と言われたという。


 『博物志』の原文は2018年1月31日付(13)に引いた。書下し文は2018年2月1日付(14)に示した。
 ここで1行空けて、以下はコメント。

 「博物志」から少し遅れて世に出た「捜神記(そうしんき)」には、更に話は装飾的になり、整理された話に書き換えられているものの、/まぁ、素朴な形でのお話しが宜しかろうということで、ここでは、「博物志」からのご紹介となりました。
 ところで、この話、なんか聞いたことあるような?って思われた/のでは。そうなんですよ。噺家桂米朝の「三年酒(さんねんざけ)」っ/て落語をお聞きになったことはございません。そのお話のもとにな/ったのが、この「千日酒」なんですよ。
 「千日紅」と来たから、「千日酒」を連想いたしましたが、「日○」といえば、「千日手」とか「千日講」・「千日籠(ごも・り)」/「千日参(まい・り)」だなんて、色々な言葉、まだまだありそうでご/ざいますヨ。ハイ。


 江戸時代、『博物志』『搜神記』ともに和刻本が刊行されているが、私は2018年2月1日付(14)にも述べたように『捜神記』が「三年酒」の典拠となったと思っていて、2018年1月30日付(12)に『搜神記』の書下し文を示した際にやや詳しく述べて置いたが「装飾的にな」った部分が落語的な発想に繋がっていると思うのである。『搜神記』の原文は2018年1月27日付(10)に示した。
 しかし、いづれにせよ「paxchinaのブログ」の指摘が当ブログに先行する。或いはもっと前に指摘している人がいたかも知れないけれども。当ブログの手柄としては『博物志』よりも『搜神記』の方が典拠らしいことを強調した点にある訳だが、もちろん確定は出来ない。しかし、その可能性の方が高いと思うのである。
 なお「三年酒」の読みだが、桂米朝は「さんねんしゅ」と言っていた。2018年1月14日付(04)からしばらく取り上げた二代目桂三木助SPレコードもある訳で(私は未だ聞く機会を得ないけれども)やはり読みは「さんねんしゅ」で間違いないと思われる*1。(以下続稿)

*1:この一文、文末が「ございません」となっているが、ここは呼び掛けのはずで、あり得ない表現ではないが「ございませんか」の方がしっくり来るようである。十分校正しないまま(人のことを云えぬが)投稿して、そのままになったのであろう。