瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

事故車の怪(08)

 昭和45年(1970)6月の「週刊少年マガジン」に載った話を3月27日付(07)に紹介した。恐らく典拠があるはずなので、その探索をした上で話を進めるべきなのであるが、なかなかその余裕もないので差当りこの記事から、仮に見当を示して置くこととしたい。
 3月24日付(06)に引いたように、2016年12月30日付(01)及び2017年1月2日付(02)に検討した、松谷みよ子『現代民話考』に載る、事故車(中古車)に幽霊が出たと云う話には生首云々の件はないのだけれども、2016年11月15日付「今野圓輔『幽霊のはなし』(06)」に紹介した、昭和46年(1971)に青森県で流行っていたと云う事故車の幽霊の話は、生首の出現に特徴があった。
 そして、この「少年マガジン」の話はその前年、しかも北海道から青森県に件の事故車が移動したと云う興味深い内容になっているのだが、問題の女性は首の骨を折って死亡したことになっており、バックミラーに映るのも「女の顔」だから確かに首から上なのだが、生首が特に強調されている訳ではなかった。
 そこで思うに、私が小学生の頃、遠足などでバスに乗ると、やたらと窓から手を出さないよう注意されたものだが、教師は実例として「ふざけて窓から腕を出していた男の子の腕」が、理由はどうだったか覚えていないが、まぁ対向車にぶつかって、或いは道路脇の電信柱にぶつかって「取れた」みたいな話をしていたように思う。昭和45年(1970)では私の生れる前であるが、あのしつこく注意をした、昭和55年(1980)前後の教師たちは、この話などで脅された世代だったのだろうか。とにかく、窓から頭や手を出している人には、衝突の危険はもちろん、首や腕がもげる可能性が良く指摘されていた。だからこの種の事故の内容を、単なる骨折ではなくするような心情が働いていたのではないだろうか。
 しかしそうした、首や手を出す女子供に対する心配が放恣な想像を生んだと云う以上に、この話に添えてある南村氏のイラストに、生首が強調されてしまった原因があるように思われるのである。――乗用車が後ろからぶつけられている様子を、乗用車の進行方向に向かってやや左から、眺めて描いてあるのだが、その追突した車がどっち向きなのか良く分からない妙な描かれ方なのである。しかも、10mか20mは距離がありそうな、やや遠方の衝突事故に対し、両眼を見開き口から血を垂らした短めの髪型の女性の顔が、左上に大きく描かれているのである。骨折なら乗用車に胴体とともに頭部も留まっているはずなので、この位置に、事故現場から少々離れた位置に大きく首を描くのは。骨折とともに首が千切れてここまで飛んできた、と云う解釈を見る者に思い浮かべさせたことであろう。合理的に解釈したところで仕方がないのだけれども。
 この少々不自然な構図は所謂《異時同図法》で、追突事故の、追突した車が何だか分からない(!)くらい迫力のあるイラストをメインにして、その車内で突然の衝撃に首の骨が折れて死亡した女の死に顔、そしてそれは、その後でこの車のバックミラーに映ることになった女の顔でもあるのだが、これを添えて話の要点を纏めて見せた、と云うことなのではないか。しかし、見る方は事故の直後に首が10mは前方に飛ばされて来た様子を描いたように取った。そしてここに、事故車と生首を結び付ける発想が生まれた――そんな想像をして見るのである。
 しかし『幽霊のはなし』の方は、事故の内容が全く説明されていない。今野氏が訝しがったように、生首が取れたと云うような事故内容が語られずに生首だけ出現したのでは、確かに「妖怪」じみている。(以下続稿)