瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(159)

 2016年1月12日付(146)の続き。
 怪談レストラン42『紫ババアレストラン』所収、岩崎京子「赤マント」が、昭和14年(1939)に東京をパニックに陥れた赤マントとは、どうも違っているらしいことに注意しました。
 私は大事件になった「赤マント」は、2月に東京で発生してラジオや朝礼での校長の訓話で鎮静化が図られ、7月には大阪でもラジオで取り上げられ「紙芝居のおっさん」が厳重注意を受けることになった昭和14年(1939)の流言のみであると考えています。
 従って、違う時期にこの流言が行われたとする説明があれば、それはまづ、①記憶違いだと思うのです。
 このケースについては2014年7月11日付(139)に纏めて置きましたが、――小学5年生のときに体験したはずの小沢信男(1927.6.5生)も、このデマの発生源とされた紙芝居の作者・加太こうじ(1918.1.11〜1998.3.13)が昭和15年(1940)と1年記憶違いしていたのに引き摺られて、小説「わたしの赤マント」の初出では昭和15年のこととしていました。その後、正確な発生時期を知って単行本『東京百景』再録時には昭和14年に修正しているのですが、人間の記憶などと云うものは意外にあっさり、堂々とした誤情報に引き摺られて辻褄を合わせようとし、書き換えられてしまうものなのです。
 そして別に『現代民話考』に載った北川幸比古(1930.10.10生)の「小学校三年生の時」の回想を「昭和十一年、十二年頃のこと」と誤っているのを誰も確認せずに利用したため、赤マントを二・二六事件と関連づけようとする説が強弁され、加太氏の実は1年記憶違いしただけであった昭和15年説が殊更に批判されたりもしたのです。
 次に、②後の名残を大事件のそれと思い込んだケースです。これは2013年12月21日付(61)辺りで指摘しましたが、昭和14年(1939)2月にはまだ小学生でなかった東京の種村季弘(1933.3.21〜2004.8.29)や、直木賞受賞作『小さいおうち』が赤マントを昭和16年(1941)のこととする根拠となったらしい、作家中島京子(1964.3.23生)の母・中島公子(1932.11.24生)の回想風の小説、それから、まだ記事にしていませんが川田順造(1934.6.20生)の回想*1が挙げられます。学齢に達しておらず、小学生としてこの流言に巻き込まれなかった世代は、その後、地域限定でぶり返した赤マントの小規模な噂を例の大流行したアレだと、長ずるに及んで幼少時の記憶を整理した際に思い込んでしまったらしいのです。
 それから、③小規模・地域限定で先行していた噂の存在が、可能性としては考えられる、と思います。昭和14年(1939)2月以前に、実は似たような噂があった可能性も否定は出来ません。ただ、この場合弱いのは、こうした回想をしている人たちもその後、昭和14年2月の大流行を経験したはずなので、それと記憶が混ざっていると思われること、いえ、やはり記憶違いで昭和14年2月の記憶をもっと早い別の何かに恐怖した記憶と結び付けてしまった可能性も、あろうかと思うのです。
 岩崎氏の回想は③か、もしくは①の例だと思うのですが『紫ババアレストラン』は児童読み物で、潤色もあって検討には使いにくく、そして時期の問題について、私は①の可能性を考えたいのですが、③の可能性も否定出来ないことから、何となく取り上げるのを躊躇していました。その後、岩崎氏が「ラジオ深夜便」に出演して赤マントについて語っていたことを知り、それが雑誌版「ラジオ深夜便」に出ていることが分かったのです。――『紫ババアレストラン』は基準にはしづらい故、「ラジオ深夜便」と合わせて検討するのが良いと思ったのですが、近所の図書館での雑誌保管期間を過ぎており、そうなると却って、どこの図書館にもありそうな雑誌がどこの図書館にも保存されなくなるので、国会図書館など都心に出ないと閲覧出来そうになく、なかなかその機会が持てなかったのです。
 そんな折、次の本に岩崎氏の回想が出ていることに気付きました。
・石井正己 編『現代に生きる妖怪たち』平成29年7月28日初版発行・定価1700円・三弥井書店・214頁・A5判並製本

現代に生きる妖怪たち

現代に生きる妖怪たち

 1〜5頁(頁付なし)「Contents 」に続く7〜11頁「巻頭言」が、岩崎京子「現代の妖怪?」です。(以下続稿)

*1:単行本2冊に似たような記述があります。初出誌と照合しようと思っているうちにそのままになっていました。