瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(36)

・日本の現代伝説『ピアスの白い糸』(1)
 昨日の続きで、大島広志「Ⅳ 家族」の3節めの例話は、166頁14行め「父の背中」と云う題で、167頁6〜7行めに「〔出所〕報告者は、東京の専門学校の女子学生。妹に聞いた話を大島にレポートとして提出。(大/島広志編「若者たちのこわい話(4)」一九八七年七月)」とある。続く大島氏のコメントを引用して置こう。167頁9〜13行め、

 四人家族は現代日本の平均的家族構成。一姫二太郎も理想像。その平和な家庭の異変は、車社会が/もたらした長女の死に始まる。そして、自責の念にかられた母親のノイローゼから、父親の母親/(妻)殺しへと発展し、長男の一言でハナシは終結する。同情の余地を残すこの家庭崩壊悲劇の基本/的モティーフは、①父親が母親(妻)を殺す、②父親は母親(妻)殺しを子に隠す、③子が父親の母/親(妻)殺しを(間接的に)暴露する、と押さえられる。


 3歳の長女の交通事故死で母親がノイローゼになり、2歳の長男と妻の世話でノイローゼ気味になった父親が母親を殺して台所の床下に埋める。そして数日後に長男が夕食時に、167頁5行め「お父さん、どうしてお母さんをしょってるの?」と、ぼそっと言ったことになっていて、父親が子供を殺そうとした、と云う展開にはなっていない。
 次いで、168〜169頁9行めに類話が3話、題があるのは168頁1行め「〔類話1〕お母さんをおんぶ」のみである。168頁13行め〔類話2〕と169頁3行め〔類話3〕には題を添えていない(しかも〈要約〉である)が、それは、オチの子供の台詞が、前半は異なるものの後半はいづれも「お母さんをおんぶしているの?」で一致しているからである。
 それぞれの出所は、〔類話1〕は168頁12行め(報告者は、北海道函館市の女子高校生。久保孝夫編「高校生が語る現代民話」一九九二年九月)、〔類話2〕は169頁1〜2行め(一九九二年、東京の私立高校男子生徒が大島に提出したレポート。一九九〇年頃、友人から聞いたハ/ナシだという)、〔類話3〕は169頁8〜9行め(報告者は、コンピュータ会社に勤める二十代の男性。渡辺節子編「私たちの百物語」一九九二/年十月)である。
 昨日触れた朝里樹『日本現代怪異事典』の「おんぶ幽霊」の項、初め(78頁上段14行め〜中段12行め)に紹介される話は〔類話1〕を下敷きにして、一部をヴァリエイションと取り替えたらしいことが分かる。すなわち、〔類話1〕は「夫婦仲がとても悪い二人はいつも子供の前でケンカばかりしてい」たことになっていたのを、朝里氏は「ごく平凡な」以上の説明をしてない。子供が「不思議そうな顔」で父親を見るのは同じだが、朝里氏は〔類話1〕にあった、父親の説明を「初め素直に信じてい」たのが「日が経つにつれて」と云う経過を省いている。父親は子供を「殺すしかない」と考えるのだが、〔類話1〕は「隠していた死体も腐り、悪臭が漂うようになっていたので」「気付かれたと思」うのだが、朝里氏は「不思議そうな顔」に「殺した現場を見られていたのではないか」との疑いを抱いて、こう決意することになっている。オチからすると「初め」から「不思議そうな顔」をしていないとおかしいので、確かに〔類話1〕は不自然である。
 〔類話2〕は「娘二人」と〔類話3〕は男の「子供」で、やはり両親の夫婦仲は悪い。父親は子供を殺そうとはしていない。〔類話2〕は「実家に行った」と誤魔化して「数日」過ごしているが、〔類話3〕は何の言い訳もせずに「二週間」過ごしているらしい。
 昨日引用した朝里樹『日本現代怪異事典』の、この話の展開についての記述に援用された、大島氏のコメントを抜いて置こう。169頁11行め〜170頁1行め、

 類話1、2、3は、父親の母親(妻)殺しの原因をケンカとしている。これは単純明快で、例話の/ような面倒な理由付けを要しない。離婚率の上昇、家庭内離婚、配偶者保険金殺人事件など、今日的/状況は、核家族の中心となる夫婦間の危機を浮かび上がらせる。「危険なホームドラマ」が生まれる/土壌だ。また、類話1、2、3は、結末部を父子の問答としている。この二点、〈ケンカ〉による殺/しと〈父子の問答〉は例話には見られない。例話は一九八六年のもので、類話はすべて一九九〇年代/に入ってからの記録。したがって、一九九〇年代に入り、例話「父の背中」は、ケンカと父子問答を/獲得し、一つの強力な型として定着しつつあるのではないかと考えられる。ちなみに“おんぶ”の言【169】葉も一九九〇年以降のハナシにのみみられる。


 朝里氏はこの“おんぶ”に着目して、大島氏が「父の背中」或いは「お母さんをおんぶ」とした話に、「おんぶ幽霊」の題を与えたらしい。命名法としては「タクシー幽霊」みたいな行き方で、大島氏の命名では、怪談の題だと断って置かないと、――私の「父の背中」は8月2日付「北村薫『いとま申して』(1)」に述べたように染みだらけだった、だとか、笹川良一(1899.5.4〜1995.7.18)の「お母さんをおんぶ」して神社の石段を登る油絵(銅像もあるそうだ)だとか、とにかく怪談と云うジャンルも添えないと、題だけでは分かってもらえそうにない。それに比べると朝里氏の題の方が良さそうだ。
 もう1点、私がちょっと引っ掛かったのは、大島氏が「例話は一九八六年のもので」としていることだ。――「若者たちのこわい話(4)」が、いつ頃の報告を纏めたものであるか、別の話の展開を押さえる上で知りたいと思って、2016年2月1日付「大島廣志『民話――伝承の現実』(1)」に、当時気付いていた限りの情報を付き合わせて縷々検討したのであったが、こんな風に自分が必要なところだけ年を明示するのではなく、可能な範囲で、話に付随する情報は出来るだけ開示して欲しいと思う。(以下続稿)