・TBSラジオ/東京RADIO CLUB 編『東京ミステリー/とっておきの怖い話』(4)
一昨日からの、以下3点の比較の最後。
〔3〕子供の疑問
【A】「民話と文学の会かいほう」No.50(1987.7)大島広志「父の背中」
→『ピアスの白い糸』(1994.11)167頁3~5行め
・・‥。それから何日か後に、父親と長男が夕飯を食/べているときに、長男がぼそっと言いました。
「お父さん、どうしてお母さんしょってるの?」
【B】講談社KK文庫『学校の怪談2』(1991.8)常光徹「おとうさんの肩」171頁2~5行め
それから何日かあとのことです。*1
父親と男の子が、さびしく夕食をたべているとき、男の子が、ぼそっといいまし/た。*2
「おとうさん、どうしておかあさんをしょってるの?」
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170頁の挿絵は手前に男児の後頭部、耳の高さから下を刈り上げたオカッパ頭で、右に右手、左に米飯をよそった茶碗が見える。食卓を挟んで向いに丸眼鏡の神経質そうな30歳くらいの男性、額が秀でて真ん中で分けて撫で付けた頭髪が、左右に幾筋か額に垂れている。左手に米飯を持った茶碗を手に、右手に持った端は焼魚の身を摘まんでいる。残された魚の頭の近くに醤油差しがあある。右手の近くに塗りの汁椀、眉毛は半ば眼鏡に隠れるくらい眉と目の間が狭い。レンズが光っているのか、眼差しは分からない。口は少し開いて歯が覗いている。背景は上と下は黒で、その間に靄のようなものが流れている。ちょうどその中に、男性の右後ろ、右耳に何か囁くかのように髪も瞳も全て白い、線だけで描かれた女性が顔を見せており、口から下は男性の右耳の後ろに隠れている。そして両肩にやはり白い手が掛かっている。ちょっと控え目な負ぶさり方である。
【C】「東京ミステリー」(1992夏)O・Sさん「お父さんの背中」218頁12行め~219頁8行め
翌日、男の子がキャンプから帰ってきましたが、母親のいないことにも慣れているので/何もいいません。
父親はいつ子供にお母さんのことを聞かれるかとビクビクしどおしでした。でも二日た/っても、三日たっても、そして一週間たっても子供は何もいいません。
とうとう父親は良心の呵責に耐えかねて、息子にだけは本当のことを話そうと思いまし【218】た。
「話したいことがあるんだよ……」
父親は息子にそう声をかけると、息子は、
「ボクもお父さんに聞きたいことがあるよ」
といいます。
父親は、もう覚悟を決めました。どちらが先に話をするか、しばらくもめましたが、息/子のほうから聞くことになると、彼ははっきりこういったのです。
「お父さん、どうして、お母さんをずっと背負ってるの?」
何故、大島氏が【C】を【B】の「転用でありながら」と述べたのか分からないが、恐らく不十分なメモのみで【C】を確認することなく書いてしまったとしか思われない。恐らく他にこんなことを確認しようと思う者もいないだろうから、O・Sさんに代わって【C】は【B】の剽窃ならざること、ここに雪冤を果たして置く次第である。――O・Sさんが大島氏の記述に気付いたかどうかは分からないが、もし気付いたとして、私がO・Sさんだったら、悔しくて一晩は眠れなかっただろうから。
この【C】の話は、2018年8月19日付(36)に触れた、日本の現代伝説『ピアスの白い糸』の大島広志「Ⅳ 家族」の3節め「父の背中」の、類話として挙げた3話に近い。類話の子供の台詞は、前半に異同があるが後半はいづれも「‥‥お母さんをおんぶしているの?」となっており【C】はここのみ【B】の方に似ている。或いは、この発言のメモのみで「転用」と判断したのだろうか。
とにかく【C】は大島氏の述べる「一九九〇年代に入り、‥‥、ケンカと父子問答を獲得し、一つの強力な型として定着しつつある」例として位置付けるべきで「おんぶ」の語はないものの【B】の直接の影響は認められない。むしろ責められるべきは、話が新しい段階に進もうとしているところに改めて一段階古い話型を児童書という「強力な」メディアによって投げ込んだ【B】の方だろう。不自然な波紋を起こさせる行為だとしか思われないのである。
ちなみに、6月7日付「東京RADIO CLUB「東京ミステリー」(4)」に引いた「はじめに」の続き、4頁13~16行めには、
また、シチュエーションに多少の違いはあるものの、まったくといっていいほどおなじ/話が、全国のかけはなれた地域から寄せられてくることもあります。
本書に収めた『お父さんの背中』はその好例で、「怪談話」がどんなルートで伝わり拡/がっていくのか、そんなことにも興味をもたされてしまいます。
とある。この点について、当時「強力な型として定着しつつあ」った【C】の話型も多く報告されていたであろうが、その一方【B】の話型がどのくらい報告されたのか、それがどの程度、常光徹『学校の怪談2』に載る【B】に近い(それこそ「転用」である)のか、確認出来ておれば本当にさまざまな「メディアの中で増幅され世に広まっている」ことの検証例になったと思うのだが、27年前の投稿はもう残っていないだろうか。しかし、折角このような興味を表明していたラジオ番組のスタッフがいたのだから、民俗学者との協同作業が当時実現しておれば面白かったのに、とつくづく思われるのである。(以下続稿)