瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(47)

・末広昌雄「山の伝説」(1)
 さて、堤邦彦「「幽霊」の古層」の8月29日付(46)に引いた箇所の続きをさらに見て行くつもりで準備して、ほぼ出来上がっていたのですが、念のため、ですが堤氏が言及している文献を確認して置くべきだと考えて、近々返却期限で訪れることになっている区立図書館に予約を入れて、もうその箇所の確認は済んでいるのですが、しばらく別の記事を上げて過ごしておりました。
 その間に国立国会図書館に、暫く振りで出掛けたのは、昨年来の懸案であった、近藤操「赤マント事件の示唆」を確認するためでしたけれども、もちろん他にも幾つか目的があって、その1つは「あしなか」の閲覧でした。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 後出しっぽくなるのを承知で、敢えて書きますけれども、私は8月29日付(46)に引いた、「あしなか」掲載話に関する堤氏の「素朴な聞き書き」との評価を読んだとき、少々引っ掛かるものがありました。
 私は下調べとして、同じ著者・同じ雑誌の情報を集めるようにしています。どういう性格の報告をする人なのか、どのような報告を載せる雑誌なのか、傾向をつかんで置くと、大体の見当が付けられるからです。
 そこでまづ、上手く行けば「あしなか」の当該号の画像でも閲覧出来るかも知れないと思って画像検索して見るに、流石に当該号の画像はありませんでしたが、古本屋のサイトに別の号の本文の画像が上がっていました。それが、3段組なのです。
 それから、国際日本文化研究センター「怪異・妖怪データベース」にて、他の末広昌雄の怪異・妖怪関係の著述が何か引っ掛かるかと検索して見るに、「あしなか」通巻103号(昭和42年4月)7〜9頁に「大和の一本足」、「あしなか」通巻116号(昭和44年6月)5〜7頁に「伊予路の天狗噺」を寄稿していることが分かりました。長野県を足場に活動しているのでないらしいことが分かったのですが、問題の、「あしなか」通巻224号(平成4年2月)13〜17頁掲載の「山の伝説」には、もう1話、16〜17頁に秋田県の山の神の話が載っているのですが、8月24日付(41)に引いた、件の「蓮華温泉の怪話」の類話は、小松和彦監修『日本怪異妖怪大事典』の「ゆうれい【幽霊】」項の事例⑨の末尾にも注記してあったように13〜16頁に出ているのです。
 「蓮華温泉の怪話」を「素朴」に語ったら3段組で1頁、長くても2頁半くらいに収まりそうです。ちょっと長過ぎるのではないか、と思えたのです。これは、末広氏の原文に当たって、どのような記述になっているのか、確認して置く必要がありそうだ、と。――いえ、必要ないかも知れませんが、私にとってはこのような瑣事がすっきり片付かないと、どうにも気色悪くて仕方がないのです。
 3月23日付「田中康弘『山怪』(7)」に書影を貼付した、『山怪』流行を承けて再刊された山村民俗の会 編『山の怪奇 百物語』に、河出書房新社版ですと29〜36頁に末広氏の「奥那須安倍ヶ城の怪」が載っているのですが、小説と云うほどではないですが読物仕立てで、他の執筆者の寄稿と比べても会話文などに文飾が目立つように感じられるのです。もちろん、話の出所、誰から聞いたか(或いは典拠となった書物)については何等、示されておりません。――私などからすると少々信用しがたい著者と云うべきで、「あしなか」に載った「蓮華温泉の怪話」の類話の分量が多いのも、同様の行文で綴られているからではないか、と思えるのです。ですから、堤氏の「素朴な聞き書き」との評価を見ると俄に、そんなことはなかろう、と思われて、どうにもたまらなくなってしまったのです。
 ですから「赤マント事件の示唆」の筆写に倦んだ折に、やはり「国立国会図書館内限定」である「あしなか」を国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧したのですが、直ちに末広氏の「山の伝説」の、意外な出自に気付かされたのでした。(以下続稿)