・末広昌雄「雪の夜の伝説」(10)
平成4年(1992)の「あしなか」第弐百弐拾四輯に掲載された「山の伝説」には、「山の宿の怪異」の添え物のようにもう1話「山の神の伝説」があるのですが、昭和31年(1956)の「山と高原」二月号(第二三三号)の「雪の夜の伝説」にも同じ話が「狩山の鼠」の題で添えてあります。
こちらはまだ末広氏の依拠した文献を見付けていません。いえ、末広氏本人は、9月14日付(55)に引いた冒頭部にあるように「昭和三十年代に残雪の東北の山々を歩いた時」に聞いた、と主張していますから、そんなものを探しても見付からないはずです。しかしながら、末広氏が「歩いた」と云う「秋田県北秋田郡荒瀬村(当時)」が、昭和12年(1937)までの名称であることが、どうにも気になるのです。
それはともかく、ここに末広氏本人による新旧2種の本文を比較出来るようになりましたので、差当り両者を比較して置こうと思うのです。いづれ素性の分かったとき、末広氏の著述の性格を考える材料として活用し得るものとなるだろうと思います。
「山と高原」第二三三号56頁2段め15行め、やや大きい明朝体で3行取り1字下げ「狩山の鼠」とあります。本文は段落分けなしで56頁の残りに詰め込まれており、或いは編集部によって部分的に節略されているかも知れません。
ここでは「あしなか」第弐百弐拾四輯16頁中段23行め〜17頁の「山の神の伝説」の段落分けに従って、少しずつ比較して行くこととしましょう。
まづ、既に9月14日付(55)に引いた「山の神の伝説」冒頭部に対応する本文ですが、1段落めの前置きに当たる箇所は当然のことながらなく、2段落めに当たるのが56頁2段め16〜18行め、
これも「山の神の伝説」の方を基準に異同を表示した方が良さそうです。次回からは「狩山の鼠」の本文を抜いて、これに「山の神の伝説」の、異同を太字で示した本文を添えることにしましょう。(以下続稿)