瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(48)

・末広昌雄「山の伝説」(2)
 昨日は、何時の間にか末広氏の行文に話を限定していましたが、そもそも「あしなか」が、学術的報告ではなく、民俗に関する随筆・読物を掲載するような趣の雑誌らしいのです。――以前から昔話や怪異談に関する文献に「あしなか」の誌名を目にしていたので、私は『シリーズ 山と民俗』(エンタプライズ)が『山の怪奇・百物語』を第1回配本として刊行され始めたとき、随分期待したのでしたが、現物を見て拍子抜けしたものです。大して怖くなかったことはともかくとして、調査・記録した年月日や場所、話者の年齢(から出来れば伝承経路)までを備えていない*1、直ちに使えないような報告が並んでいたからです。そして、雑誌そのものの性格も同様なのであろう、と思ったものでした。
・「あしなか」第弐百弐拾四輯
 端末でカラー画像を見ただけなので、寸法は測っていませんがB5判です。号数は表紙にも奥付にも「第弐百弐拾四輯」とあります。表紙の裏に「目  次」、次いで1〜17頁が本文で3段組、18頁は「あしなか通信」と云う投書欄で4段組。裏表紙の裏には3段組の「会報」があって、下段の左に奥付、「一九九二(平成四)年二月刊  非売品/『あしなか』〈第弐百弐拾四輯/年 五 回 刊〉 '91―5」割書のところも活字の大きさは同じ、最後の「'91―5」は1991年度の5冊めと云うことでしょう。
 1段27行、1行20字。13頁は最初10行分取って、右に太い縦線、左に細い縦線に挟まれた間に、右側上寄りに明朝体で大きく「山 の 伝 説―――古い山日記より」左側下寄りにゴシック体で「末 広 昌 雄」とあります。
 13頁上段、まづ3行取り3字下げで「山の宿の怪異」とあり、16頁中段21行めまで。すなわち、13頁の題と14頁中段右(12行分)の略地図の分を除いて、丁度3頁分くらいの本文で、やはりかなり長く感じます。それからもう1話、16頁中段22行め、やはり3行取り3字下げで「山の神の伝説」と題して17頁下段までですが、17頁中段と下段には囲みで「会員新著」紹介があって、本文はそれぞれ7行分ずつです。上段も左に略地図(12行分)があるのでこちらの本文の量は2段余になります。
 さて、事件の時期を明治25年(1892)26年(1893)のこととする「蓮華温泉の怪話」の類話、と云うか同じ話の異伝と云うべきでしょうが、それが1話めの「山の宿の怪異」です。本文を冒頭から少しずつ引いて検討して行っても良いのですが、先に結論を云ってしまいましょう。――この「山の宿の怪異」は、8月6日付(25)に取り上げた、東雅夫が『山怪実話大全』に紹介した「サンデー毎日」昭和三年七月二十二日号の白銀冴太郎「深夜の客」を(直接か間接かは分かりませんが、とにかくその本文を)脇に置いて書き写したのではないか、と思われるくらい似ているのです。
 そうすると8月9日付(28)の【B】導入〜時期の説明に検討した、「深夜の客」の事件の時期「大正三年」と食い違うではないか、と思う人もいるでしょう。その問題については追って検討することにして、しばらく、既に当ブログに「蓮華温泉の怪話」との比較のために引用してある「深夜の客」の本文に対応する、「山の宿の怪異」を抜いて見ることとします。(以下続稿)

*1:当ブログではそう云った記載のない話について幾つか考証を試みました。そのような作業が必要になって来る理由も縷々述べて来たつもりです。